憂生’s/白蛇

あれやこれやと・・・

お登勢・・13

2022-12-18 12:41:41 | お登勢

剛三郎に手をとられて、はじめて、
お登勢は剛三郎の真意と、
昨日の夜に、お登勢の寝間に忍び込んだ男が誰だか判った。
えり合せに差し込まれた
ひやりと湿り力仕事をした事のない柔らかな手の感触が、
お登勢の手を包む剛三郎のそれと同じものだった。
なにもかも、つじつまがあってくると、
お登勢は今、自分がとんでもない窮地に立たされていることも
理解できた。
『あの時と・・・同じだ』
お登勢の思うあの時とは、昨日のことなどではない。
姉原の縁の下に潜り込んだ時のことである。
『やりすごすしかない。
じっと、黙って、やり過ごすしかない』
うっかり、叫び声をあげたり、
顔色を変えて、抗って見せたり
下手ないいわけで、剛三郎から、にげようとしたら、
剛三郎はあの時、母を、父を、殺した武者と同じ。
己の感情のたけりのままをぶつけてくる。
だが、
このままでは、
剛三郎の思いのままにされるしかない。
『とにかく、この場を逃れることさえ出来れば・・・』
お登勢の胸にあんちゃんの言葉がよみがえってくる。
何か有ったら、あんちゃんところに来い。
この場さえのがれることができれば、
お登勢には、逃げるところがある。
あん時と同じ。
やっぱり、あんちゃんがお登勢を引きずり出してくれる。
だから・・・。
『どう、すればいい・・・。どう、すればいい・・・』
お登勢の胸にかすかな、痛みが走る。
今はそんな事に拘っている場合ではないが・・・。
お登勢の口がきけなくなったのは、
恐怖のせいばかりでも、
父に声を出すなと言われ、
強く、自分に念じたせいばかりではない。
父の窮地に
母の窮地に
一声も抗うことも出来ず、
止めてくれと
懇願することもせず、
ただ、ただ、己を守り
己をかばい生き延びた自分への責めがある。
その己保身が今、また、
お登勢に小さな痛みを与えていると、きがつかぬまま、
お登勢は今
自分を守りえるための策を労し
普段のお登勢では、
考えもつかない
酸いも辛いもかみわけた
女狐のごとく
したたかな女に代わろうとしている。
だが、今は
その悲しみが
お登勢の胸を刺していると、
問い直している場合ではない。
顔色を変えず、
嫌悪も見せず、
その手を振り払いもせず、
お登勢は
剛三郎の申し出に
「はい」
と、うなづいて見せた。
抗うかと思ったお登勢が
まんざらでもない様子で剛三郎にしなやかな手を
預けている。
こんなことならば、昨日に一騒動おこして、
危ない橋を渡る必要もなかったかと
剛三郎はかすかな、後悔をもたぬでもないが、
もとより、
やはり、お芳の甘声を聞かせた労が功を奏したかと
己の策に甲斐があったと、しんと、己惚れる。
「お登勢・・・。お前、わたしのことを・・・」
憎からずとおもっていてくれたのか?
昨日の夜這いがわたしだと、わかっていたら、
お前はすんなり、わたしのものになってくれていたということか?
「はい・・・。女将さんには・・・。
もうしわけないことですが、ずっと、お慕いしておりました」
嘘である。
嘘でしかない。
だが、お登勢は捕らえられた籠の鳥の振りに徹した。
逃げる鳥を捕まえるのは定法だろうが、
懐く鳥は手の平に乗せ自由にさせるだろう。
『なにか・・・。なにか・・・・。術はないか・・・』
わずかな活路を切り開くために
お登勢は、籠の中であっても、
剛三郎に無理やりに押さえつけられることだけは、
回避しなければならないと
己を押し殺し、心にもない嘘を装った。
「お登勢・・・。こっちへ・・おいで・・」
剛三郎が、お登勢の虚偽かとうたがいもせぬのは、
常日頃のお登勢の生真面目で、実直な振る舞いのせいである。
お登勢が木蔦屋の身代を狙ったりするわけもなく、
ましてや、そのために剛三郎の手に落ちるまねをするような、
欲得づくの女でもない。
ひたむきで、ひかえめで、よく、気がついて、
人の気持ちをよくうけとる。
ただでさえ、かわい気のある気性のお登勢に
ひそかに、
剛三郎を慕っていたと告げられれば、
剛三郎も、いっそう、お登勢がいじらしくなる。
おいでといいながら、剛三郎の方が
お登勢ににじりよってゆくと、
お登勢をその胸にかきいだいた。
『夢をみているんじゃないだろうねえ?』
だが、現にお登勢は剛三郎にしなりと、身体を預けている。
『たなから、ぼたもちというが・・・。
こりゃあ・・・・。
たなから、天女さまだ・・・』
思わぬことの成り行きに
剛三郎のほうが、すっかり、舞い上がっていた。
剛三郎の胸に顔をうずめたお登勢のうしろ髪あたりから、
若い娘らしい、甘い香りがほのりと登り・・・。
剛三郎はお登勢の甘やかな若さにむせかえりながら、
もう一度、しっかりと
腕にお登勢のかきいだきなおし、
お登勢の生身の存在感に酔っていた。
ややすると、
剛三郎はお登勢を胸の中からそっと、離し、
じっと、お登勢を覗き込んだ。
「お登勢・・・いいんだね?」
今から、これから、お登勢とは、男と女になるんだよ。
と、剛三郎は言う。
お登勢はうつむいた。
うつむいたままのお登勢の胸の中は、
一計を探り当てようと必死である。
『どうすればいい。なんと、答えれば、だんなさまは
すんなりと、あきらめてくれるだろうか?』
今日は、遅くなっているから、今度にしましょう。
こんな言葉で、剛三郎に点いた火が消えるとは、思えない。
『だが、このままでは・・・』
頭の中で、恋仲の男と女を描いてみる。
『女が好いた男と肌を合わせたくない、と、断る理由が
すんなり、男に受け入れられる・・・と、したら・・・』
お登勢の考えに出口が見え始めた気がした。
が、時はお登勢が出口にたどり着くのを
のんびり待っていてはくれない。
「お登勢・・・」
剛三郎がお登勢を再びひきよせると、
お登勢の身体をゆっくりと床に傾け落としはじめていた。
「嫌です」
お登勢は思わず、本音を口に乗せてしまった。
乗せた言葉をそのままにするしかない。
「お登勢・・・?」
剛三郎が怪訝な顔になり始めていた。
咄嗟。
「嫌・・」その言葉を逆に肯定するしかなくなった、お登勢が、
咄嗟。と、言うしかない。
断る理由がお登勢の口から勝手についてでた。
「だんなさま・・・。登勢は・・・・障りの最中なのです」
怪訝な顔が俄に崩れると
ああ、なるほどと、得心した笑みが漏れた。
お登勢は瓢箪から駒のごとくの、成り行きのまに、
剛三郎がみせた一瞬のひるみを見逃さなかった。
『この手が通じる・・・』
そこで、そそくさと、立ち上がって逃げようとすれば
剛三郎は聡く、お登勢の嘘とかぎとってしまうだろう。
お登勢はもう一度、身体を起すと
自分から、剛三郎の胸にすがっていった。
そして、
剛三郎の胸の中に居たい女のふりに徹したまま
「だんなさま。登勢のさわりがあけるのに、五日ほどかかりましょう。
その時まで・・・」
『おあづけってことかい?』
剛三郎もいかにも残念であるが、
障りのさなかの房事も、ぞっとしない。
それに、無理やりお登勢をどうにかしなくても
お登勢はもう、剛三郎のもの、同然だった。
だから、
「お登勢のいうようにしよう。
それじゃあ、もう、五、六日したら・・・」
そうだねえ。こんな布団のひとつもないよな、逢引場所でなく・・・。
黒門町の小料理屋の部屋をひとつ、かりて・・・。
ゆっくりと、お登勢を・・・。と、
胸算用の剛三郎に
お登勢はもう一つの駄目押しをだした。
「だんなさま・・・。それに、今日は用事が随分、遅くなってます。
これ以上・・・遅くなって、女将さんに探しにでも来られて、
二人が・・・」
お登勢が、二人という言葉をとめて、二人というのにさえ、いかにも、
嬉さと、恥ずかしさが入り混じるという様でうつむいたが、
「二人のことが、今、あかるみにでては。こまるとおもうのです」
確かにお登勢のいうとおりだ。
お芳には、いずれ、なにもかも、あからさまにしなければ、ならなくなるが、
有無をいわせぬ状況になってからのほうがいい。
つまり、
お登勢がはっきりと、剛三郎の子を宿したときが、いい。
だが、そうなる前に
お登勢との、それもまだ、馴初めても居ないが、
お登勢との仲がお芳に知られたら、
お芳はお登勢を剛三郎から取り上げ、
どこかにやってしまうかもしれない。
「そうだねえ。
蟻の穴からでも水は漏れるという。
今日は・・・。
お登勢の気持ちを知っただけを良しにして、
お登勢は先に帰った方がいいだろう。
今日、二人が会った事も、もちろん、内緒にしておいて、
まだ、お芳の子供養子の話もきいてないことにしておいておくれ」
「はい・・・」
と、うなづいたお登勢を寄せ付けると
剛三郎は襟あわせから手を差し込んで
お登勢の乳房に触れた。
触れた手をそのままにお登勢の口を吸った。
しんなりと剛三郎の手に落ちるお登勢だと判ると
いっそう、
「お登勢・・・。今度の逢瀬がまちどおしいねえ」
剛三郎に身体を預けたまま、
お登勢が喉の奥で云とうなづいたのが
剛三郎に、伝わってきた。
そして、寸刻のちには、お登勢は自由の鳥さながら、
薄暗く、狭い茶屋をぬけだし、
昇りきった日がつくる、自分の影を追いかけながら、
木蔦屋への道を急いだ。



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