憂生’s/白蛇

あれやこれやと・・・

お登勢・・・5

2022-12-18 12:43:32 | お登勢

そして、朝。
清次郎は髭をあたり、
こざっぱりした意匠の着物に着替えると、
お登勢をつれて、
木蔦屋にでむいていった。
木蔦屋のお芳というのは、
もともとがこの店の跡取り娘で
婿をもらって、かれこれ、十四、五年たとう。
長屋のおかみがいうように、
確かに面倒見がいいのは事実であるが、
そこは、
商売人である。
下手な同情や甘い情けに流されての面倒なぞはみない。
それをあかしだてるかのような、お登勢とのやり取りがある。
清次郎とお登勢を前にすると
お芳はまず、
「ああ。お育さんから、きいてるよ」
と、清次郎がことわりをのべるのをさえぎった。
そして、
お登勢の前にしゃがみこむと、
お登勢の瞳をじっと、のぞきこんで、
「あんた。いくつだい?」
と、訊ねたのである。
面食らったのは清次郎である。
おかみから、話をきいてると、いうのであれば、
眼の前のお登勢が口をきけないというのは、
承知のはずである。
それを、わざわざ、「いくつだ?」と、たずねるというのは?
さては、お登勢が口をきけぬことは、黙っておいたのかと、
清次郎もあわて、
「年は・・」
と、口ぞえをしようとしたとたんに
お芳にしかられたのである。
「あたしは、この子にきいてんだよ。おまえさんにきいてるんじゃない」
とりつくしまもない切り口上に、清次郎は口ごもりながら
お登勢がおしであることを
つたえようとしていたが、
お登勢は左の手の平を出し、右の指三本をそえて、
八っつであることを、お芳にしめしてみせていた。
「ふ~~ん。いい子だねえ。清次郎さんだっけ。
あたしはね、この子が気にいったよ」
お芳のはきはきとした、物言いは一人娘で育ち、云いたい放題が許された境遇のせいかもしれない。
「なにがいいといったってね。この子は口がきけないんだろう?
でも、ものおじしないね。そこがいい」
お芳はちゃんとお登勢が口を利けない事を知っていた。
「そしてね。この子は頭がいい。頭がいいってのはね、
自分が物がわかる事じゃないんだよ。
相手に判らせることが出来ることが頭がいいというんだ」
口の利けないお登勢に年を尋ねてくれたお芳に
なんとか、わかってもらおうと手を出して
数を表して見せたお登勢である。
「そして、この子は人の気持に応えようとする。
自分より先に相手の気持を考える」
お芳はほうと、ため息をつくと、
「清次郎さん。この子はこんなに小さいのに、
余程厳しく育てられたか、余程、辛い目にあってるとあたしにはそうみえる」
お登勢の前を立ち上がると、
「どちらにしても、女衒のおまえさんが、この子と縁をもつということがすでに、この子の不遇をかたってるとおもうけど、
なのに、物怖じや畏れを見せずにちゃんと、あたしの問いにこたえてくれる。あたしはね、そうやって、ひたむきにいきてゆこうとする人間の事には、いくらでも、助きをしてあげたいとおもう。
どうだろうね。
あたしのほうから、この子を預からせてもらえないかと
いわせてもらいたいんだけどね」
清次郎は、お登勢の性分をみぬき、それを大切にしたいといってくれるお芳の言葉に胸をつまらせ、
でてこぬ言葉の変わりに両手をあわせお芳を拝んだ。
「いやだねえ。あたしは観音様じゃないんだよ」
笑ったまま、お芳は、
「じゃあ、今度はおまえさんからの話をきこう」
云いたい事をいうと、ずいと、身をひいて、
聞き役にまわるという。
清次郎はお登勢が口が利けなくなった身の上話しだけは、
きちんと告げておこうと想った。
女衒の清次郎からお登勢をあずかって、
それから、もう十年が過ぎたのだと、お芳は思いなおしている。
清次郎があの時伝えてきたお登勢の身に起きた事を
今更のごとくに思い起こすお芳である。
「お登勢は眼の前で父親を殺された。
だけじゃあない、身重だった母親は
手篭めにされ、刀を腹につらぬかれちまったんだ。
お登勢はそれを一部始終みていたにちがいねえ。
そして、お登勢は口がきけなくなった」
口がきけなくなったのか
口をきかなくなったのか、
いずれにせよ、ななつや、やっつの子供が
みる惨状じゃあない。
よくも、まあ、それでも、この子は・・・。
『強い子だねえ。それでも、必死で
いきてゆこうとしてるんだねえ』
お芳のためしに、お登勢は十分に応えて見せている。
『狂っちまっても、おかしくない。
なのに、一生懸命人を信じてるよ』
で、なければ、
女衒の清次郎がこの子を女郎屋に売らずに置くわけがない。
綺麗な顔立ち。
口がきけないのなんて、別にどうってことない世界に
この子をうりとばせないのは、
この子の性分がさせることだろう。
人の心をふみつけにして、
人を売るのが、女衒であるのに・・。
「清次郎さん。よくぞ。あたしをたよってきてくだすった」
お登勢がまっとうな道を歩むことをお芳に託そうと、
してくれた、清次郎に応えるとともに、
お登勢の生き筋を導いてやると決めた。
それからのお芳はことあるごとに、
お登勢のためになることは、
すべて、おしえていった。
お登勢にはいろはも教えた。
お登勢は飲み込みもはやいばかりでなく、
文字も流暢にかいた。
数をおしえてゆけば、帳場に使えるかもしれないと、
そろばんもおしえた。
反物のめききもいい。
お芳のきがつかなかった、織傷をみつけて、
お登勢が首を振って見せたことがある。
「この子はかんがいい」
そうなれば、欲もでる、
針をもたせてみれば、丁寧な仕事をする。
いつのまにやら、
お登勢をよびつけては、
「どうだい?この生地・・・。
中村のお嬢さんが、新ものがほしいと・・」
お芳がみなまでいわずとも、
お登勢は
中村のお美代さんをおもいうかべるのだろう。
生地がお美代にあうと、思うと
お登勢は帯を持ち出してくる。
生地の柄を映えすぎさせず、
帯にみおとりもせず、
「ああ、お嬢さんににあいそうだねえ」
そして、実際、お嬢さんに来て頂いて
あわせてみれば、
お嬢さんもおきにいりになるということが、
たびかさなると、
目利きにも縫いにも、帳場にも使えると
お登勢の存在はお芳になくてはならぬものになってきた。
そんな十年だったのであるが、
とうとう、お芳が、心配していた事が
おきてしまったのである。
幸い、事件は未遂で、
お登勢の声が戻ると言う
駒がついた。
「そうだ。お登勢、誰かわからないなら、
お前。まだ、口をきけないふりをしておいで・・」
お登勢の部屋に忍び込んだ男は
お登勢の声であわててにげだしているが、
結局
お登勢はやはり口が利けないのだと、わかれば、
もう一度、
わるさをしに、忍び込んでくるかもしれない。
「そこを、ふんづかまえて・・・」
お芳の名案は
お登勢の顔を曇らせるだけだった。
「女将さん。あたしは、怖いです。
ちゃんと、口がきけるようになったと、
わかったほうが、もう、こないんじゃないでしょうか?」
そうかもしれない。
「誰の仕業だか、わかんないのも困ったことだけど、
お登勢が、そういうんなら・・・」
お芳は何の疑念もいだかず、
お登勢の言葉をうけとめた。
が、このとき
お芳はお登勢を手放してゆかなければならなくなる
事態がはじまっていたのである。
「まあ、お登勢にはそのほうがいいだろうね」
とは、いってはみたものの、
お芳は癪にさわってしょうがない。
だいたいこんなことがあっては、いけないと、
わざわざ、お登勢を近くの部屋にすまわせたのである。
それでも、このていたらくなのであるから、
いかにお登勢が綺麗なおなごかということになってくるのであるが、
いかに綺麗であるから、
男衆が妙な気を起こすのもわからないではない。
わからなくもないが、
女将自らがわざわざ守りをしいたお登勢としりながら、
部屋に忍び込むとは、
これはどういうことであるか。
すなわち、
『あたしをなめてかかってるってことじゃないのかい?』
店の中に不穏分子がいる。
自分の威勢がくつがえされている?
『やはり・・・ほうっておけない』
と、なると、やはり
忍び込んできた男が誰か突き止めなければいけない。
「ねえ。お登勢?本当に誰だったか、わからないのかい?」
お登勢はとたんに、おびえた顔に変わる。
「声をきかなかったかい?」
聞いた後から、お芳は自分の失敗だったと思った。
声を取り戻せたことに上気していたお登勢の頬がすっと、血の気を失ってゆく。
『ああ。いやなことを一緒に思い出してしまうんだ』
お芳はやはり、このことは不問にするが、
お登勢のためには、よいと考えることにした。
せっかく、声を取り戻したお登勢の気持ちを
もう一度浮き立たせるために
お芳はお登勢にひとつ、使いを頼むことにした。



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