其の後朱雀は黙りこくった澄明をじっとまっていたが、
澄明にやっと「もう少し考えます」と、告げられると
南天に帰することにした。
次の日の澄明である。
鬱々とした思いは
昨夜の朱雀とのやり取りを反芻させるだけである。
朱雀のいうとおりである。
確かに楠の誠は命をかけたものであろう。
だが、例え其の先で死を持って帳合をあがなうとしても
これを赦す久世観音が、不遜におもえる。
なってはならぬことであるなら、成らす前にとめるべきである。
其の上で久世観音の言う事を聞こうとせぬときりたおしてしまえばよい。
それもせずに何故楠の情恋をかなえてやらねばならぬ。
何故?
こう思う裏側で確かに白峰をつきくずせぬものがないかとさぐっている。
せめて、事を塞ぐことができないなら、
人と人でない物が交わるが過ちであると、
楠を決済せねばならぬなら、
白峰にも何らかの懲罰がくだされるべきであろう。
澄明は地上に縛り付ける欲を晴らさせ、
白峰という神を天空界に飛翔させるための道具か?
天はそれ程に神が大事か?いわんや、楠が大事か?
人の肉体を供物とさせる間違いを犯す事から、なぜ、ただそうとしない?
それとも、人なぞ虫けらのように些細な存在でしかなく、
神や精霊の欲を漱ぐお役に立てるを光栄と思えというか。
畢竟、人に感情があるばかりに神の所作の間違いを知るが
是さえ分を過ぎたおごりだというか?
だが、人が虫けらの如きつまらぬ者であれば
何故身も世もあらぬ神が人間の女子を相手にする?
知恵も感情もいわんや、おごりもない獣なら、
神の思うままにその恣意にそってゆくだろう?
なぜ、人間なぞに心を寄せる?
ましてや、白峰なぞ、元を正せば蛇ではないか?
蛇の分際が神格にならば、人を求むるがゆるされる?
蛇らしく蛇をもとむればよかろう?
じっと考え込んでいた澄明がはっと自分に気が付いた。
―私は久世観音の裁断や経緯におこっているのでない―
楠が既に人と交わった事がゆるせないのだ。
確かにそうだ。
妖狐のいうとおりだ。
楠が人と交わった事を赦すと言う事は
白峰をもゆるすしかないということだ。
白峰を赦す気持ちになぞけして、なりたくない。
是が朱雀のいうことだ。
赦せない白峰に誠の思いがあるとなれば、
澄明は人目には白峰の寵愛を受ける事になる。
誠一つぞと無き陵辱であるなら、まだしも
白峰側からの事実は情恋のはての結びになる。
―是が赦せない―
そして、赦せない事を赦す者がいる。
一方だけのまことをみて、欲をすすがさせるをよしとする。
澄明の思いは元を巡りぐるぐると同じ所をまわるだけである。
楠の辛い気持ちもわからぬでない。
出来るものならば、楠にとって本の短い時にしか過ぎぬ
人の一生を追わせてからでも、裁断を下しても良いではないかとも思う。
子まで成させて。
だが、それも、ならば白峰を赦しても良いでないかと自分にはね返る。
なんで、人に恋情をいだかねばならぬ?
楠を責める気持ちが鬱々と澄明に被さってゆくうちに
澄明は知らずの内に鴛撹寺に足を向けていた。
鴛撹寺の境内の端ではやはり木挽きが繰返されている。
其の楠の近くにひととせにならぬ赤子をだかえた男が
じっと木挽きの様を見守り続けていた。
それが楠と契りを交わした次三郎に違いなかった。
次三郎は楠から別れを告げられたおり、
我妻が楠の化身である事をもつげられていた。
それがどこの楠であるか。
何故今更急に別れを告げねばならぬかと不思議に思った。
思ったが暫くせぬうちに鴛撹寺の楠の怪を耳にする事になる。
と、さてはそれが我妻であったかと悟ると共に、
切られる事になった宿命が別れを告げさせたのだとしった。
次三郎が楠の木挽きをあっさり諦めるにもわけがある。
楠は己の正体を次三郎にあかした。
明かした折に正体を明かした今、もう人に戻る事はできぬと教えた。
幻惑を見破られればもう術にかからぬと同じことである。
楠が全てを明かしたのは是が今生の別れになると覚悟したせいで
二度と楠は人の姿にもどらぬということであった。
この覚悟を次三郎は悟った。
二度と人に化身できぬ運命に従うためにも、
楠はあえて己の正体を明かしたのだと。
其の運命が木挽きである。
だがそれでもしたがうつもりで覚悟した木挽きに逆らう楠がいる。
いくら、逆らっても楠は二度とひとにもどれない。
戻れない楠が、
己の宿命に従おうとするはずの楠が、怪を見せる。
この怪がなんであるか。
次三郎には苦しくもわかる。
『あんじなや。わしが坊を立派にそだててみせる』
そして、次三郎である。
『坊がおらなんだら、わしもお前の後をおうてみせように』
楠が残した真実は既に命さえいらぬといっていた。
鴛撹寺を去る澄明の胸に後悔が走る。
澄明は楠に手を当てたとき、こう尋ねた。
「お前はあほうじゃ。我が身を捨て去る愚挙のはてに
次三朗を苦しませておる。
何故、次三朗が人の女子と巡り会う幸いを念じて見守っておらなんだ?」
せめてもと己の気持ちを次三朗に告げるだけならまだしも、
思いをむけらたいと望むは、楠の分を過ぎている。
それでさえ過分であるに、人に化身し子まで成す仲になる。
「何で、人としての幸いを願ってやらなかった?」
成ってしまった結果を覆せるわけもない今、澄明の言葉は虚しい。
「あなたにはわかるまい」
思いを寄せてしまった男の心を捕らえたい。
こんな情念の底なぞ判るまいと楠は言葉をかえしてきた。
よしんば、男の心を捕らえたいために人に化身するを赦すとしても、
それは楠の得手勝手な情念である。
偶々に次三朗が楠に本意になったが、
もし、次三朗が謀れた事に憤るとすればどうなる?
そうでなくとも、男の心を捕らえたいが為の
あまりの己の勝手でしかない。
「己さえ誠であればたばかってもよいか。情念をぶつけてよいか?」
ここまでとうてみて澄明は気がついた。
結局、白峰の暴挙を見ている。
楠の元は勝手なそれこそ邪恋でしかない。
楠は邪恋が本意になるをあてこんで、次三朗にちかづいていった。
白峰も又、そうであるのかもしれない。
澄明が本意になるかも知れぬと、
白峰の邪恋も赦されているという事か?
切欠がどうであれ、双方が誠になりえるかも知れぬなら、
邪恋もゆるすか?
赦されているとしかいえない。
白峰の執着は澄明に懸想を寄せるものにあふりを食らわす。
好き勝手にあふりを食らわせる事が出来る。
これをみてもあきらかである。
澄明が他の男のものになりえることまで阻み、
己の邪恋を寄せるば、澄明が本意になるかも知れぬと云う、
澄明にとっては有り得ない可能性にまでかけるこそ
白峰の誠と天がのったか?
「おまえさえ、誠なら・・よいか?」
楠は答えなかった。
替わりに次三朗がああいった。
楠の思いがどうであるかなぞでない。
大事なのは自分の思いがいかであるかしかないと。
双方が同じ思いを抱いた今、元が邪恋である事も
得てかってである事も関係がないとつよくいいきれる。
「次三朗がお前をうとんじていたら、そういっておれるか?」
浴びせかける言葉は容赦なく楠を打つだろうが、
それは白峰の暴挙にさいなまれる哀しい澄明を露呈させるだけである。
疎みながら白峰を受け入れねば成らぬ己の悲劇が
楠の幸いをやっかんでいるにすぎない。
「おまえ。情の怖いおなごじゃの」
楠にまで、同じことをいわれた。
「お前に思いかける者はうとまれるだけか?」
くだらぬちっぽけな己でしかないと思えば
こんな自分に思いをかけてくれるはありがたいことである。
己の卑小さを知る者は寄せられた思いにこうべをたれる。
むろん、次三朗のこの謙虚さに乗じたわけではない。
が、次三朗は楠の思いをすなおによろこんだ。
よろこんだ上で、受け入れたに過ぎず、
受け入れぬ受け入れるは次三朗の自由である。
「次三郎はよろこんでくれた。それだけでじゅうぶんじゃった」
それだけで、充分じゃった男が楠を求むる。
恋しい男に求むられて拒む女子がどこにおるか。
それだけのことでしかない。
どこの世でも男と女が繰り広げる顛末でしかない。
「吾はしあわせじゃった」
楠はさいごにそういった。
澄明は楠からてをはなした。
そして澄明の心に植えられたひとつの悟りに後悔をおぼえた。
悟りは、澄明に白峰をさいわいにするもせぬもお前次第だという。
『楠の最後の言葉をきくでなかった』
誠のありようがどうであるかはもとより、
白峰が事が暴挙にすぎないかなぞ
どこかにふきとんでしまいそうである。
白峰もまた、楠のように幸せであったと思いたいことであろう。
ふと、きざした悟りにとらわれ、
暗澹とした気分に包み込まれたまま、
澄明はいつもの通り街外の見回りへ足をむけはじめた。
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