イワノフと二人きりで真正面きって、会うのは、アフターに入ると宣言して以来だ。
イワノフの求婚を断ったせいもある。
イワノフももう、ターニャを引きとめようともせず、ターニャの申請通り、次の日から
アフターの振り付け師がついた。
向かい合わせの席でイワノフが
「アフターでのデビューは予想以上に
大反響だよ」と、ターニャをたたえた。
そうなのだろうか?
実際問題、ターニャには、大きな手ごたえを感じない。
むしろ、舞台をはねて、街で買い物をしていてさえも、観客のあの特異なまなざしと同質な視線を感じ、あえて、手ごたえがあるというのなら、それは、嫌悪感でしかなかった。
「それが証拠に、僕個人としてははなはだ不愉快でしかないが、君と個人契約を交わしたいとの、申し込みが
この2週間で、13件。
僕の一存で握りつぶすわけにもいかないし、
検討するのは、君本人なんだから・・・。
君の参考になるか、どうか、分からないが・・・。13人の申込者のリストを作っておいた。特殊な契約を望んでいる人たちなので・・・プライベート情報として
読み終えたら・・・破棄してくれたまえ」
『え?』
イワノフから告げられた事実と
イワノフが告げるという事実とが、
ターニャに二重の衝撃を与えていた。
ターニャが暫しの沈黙を護らざるを得なかったのは怒りが言葉を作らせなかったせい。
混乱の怒声は、ただのわめき声になりそうで、
わあああと、叫びそうになる喉元をおさえつけておくのが、精一杯だった。
「わざわざ、よびたてておいて、
用事はそれだけでもうしわけないのだが・・・。
今日もアフターだろう?
帰って・・・」
良いと、いいかけた、イワノフの
傍らまで、ターニャが近づいてきていた。
ターニャの顔色で次に起きることが予測できるとイワノフは泰然自若の様でその場に立ち尽くした。
怒りの相貌のターニャといえば、声にならない思いをイワノフにぶつけざるを得なかった。
それが、すでに、イワノフへの甘えと期待を裏切られた反動でしかないときがつかないまま。
今。
イワノフの頬がターニャの平手打ちに
パンと高い音を立てた。
イワノフはなにもかも、承知していたともいえる。
黙ってターニャを見つめると
ターニャの心の中で起きている理解が
偏った物でしかないことを
今のターニャに説明できるか、
ターニャに聞く耳があるか、どうかだけを
考えていた。
「イワノフさん!!」
怒りを掌で開放したせいで、
ターニャの喉が堰を開いていた。
「なんだろう・・」
まずは、ターニャの怒りを胸の中から吐き出させるしかない。
それをしなければ
ターニャはイワノフの言葉を聞こうとはしないだろう。
我が子に対する親の許容にちかい姿勢で
イワノフはターニャに対峙する。
「これじゃあ・・・
まるで・・・」
まるで?
なんだろう?
「まるで、ここは、売春宿じゃないですか。
アフターの踊り娘は・・売春婦じゃ・・ないですか」
興奮が堰をきり、ターニャの目に溢れる。
「私は・・・」
踊り娘・・踊りたいだけ。
なのに。
「あなたは、呈よく、劇場という蓑に隠れて、女の子を斡旋してる、
ただの悪党だわ。
そして・・・・」
私もその悪党の餌食・・・。
結婚を断ったから?
だから、平気で狼たちの餌にしてやるって?
私は・・・いったい、なに?
貴方はいったい、私の何をみて、
求婚したの?
求婚まで、したくせに
どうして・・・
こんなことが、できるの?
手に持った個人情報の封筒をわざと
胸に抱くと
ターニャはせいぜい、目一杯の皮肉と強がりをいうしかなかった。
「お望みどおり。
私、せいぜい、立派な殿方をえらばせていただきます。
ただし、
20も30も年上のおじいさんのお相手だけは、さけさせていただきますけど」
いいはなつと、ターニャは事務所から、でていこうとした。
だが、
イワノフは静かな瞳のままで、
ターニャをみつめかえしていた。
「君は、本当に私を悪党だとおもうのかね?」
「そうよ。
じゃ、なけりゃ、なに?
ひも?ジゴロ?」
「君は・・・・。
恵まれすぎていて、めくらになっているよ」
なに?
あなたが悪党に見える私がおかしい?
いうにことかいて、
とんでもない方便。
おまけに、また・・・・。
恵まれてる・・・・?
なんだというのよ・・・。
「私のどこが、めぐまれてるというの?」
イワノフはターニャが尋ねてくる事を待っていたといえる。
尋ねるイコール耳を貸す体制になりつつあるといえるからだ。
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