昨日のことがまだ、
癪に障ると朝からぶつぶつ独り言を繰り出しながら
お芳がおきてみれば、
剛三郎はさっさと、おきぬけ、
庭に降り立って
鉢植えの手入れをしている。
「おまえさんったら、あいかわらずだねえ」
剛三郎は四十になったころからだろうか。
盆栽なぞという老人めいた手慰みをはじめたのは、
夫婦の間に子が無いせいでもあろう。
松の鉢植えが一段とおきにいりのようで、
案の定、今日も
眺めて見
すかして見
松のご機嫌伺いがおきぬけの仕事なのだ。
ともに、庭に降り立って俄植木職人の腕前を見つめていたお芳だったが、
ふと・・・。
気がついた。
「あたしったら、昨日の男が屋敷の中のものだとばかり思い込んでいたけど・・・」
ひょっとしたら、屋敷の外から入ってきたのかもしれない。
ちょっと、確かめてこようと
お芳は裏木戸に足を伸ばした。
だが、
お芳が思ったこととは違い
裏木戸には、しっかり鍵がかかっていた。
「やはり・・・・。うちの人間かい?」
裏木戸があいてりゃあ、
なかのものを疑う嫌な気分を味あわずにすむ。
お芳の妙な期待はくじかれた。
だが・・・。
朝露に鮮やかに
土を踏みしめた痕がある。
お芳は剛三郎の元にかけよると、
「おまえさん?あ・・・足跡が・・・」
と、ひょいと剛三郎の足元を見た。
裏木戸から続く足跡が剛三郎にのびているように見える。
「なんだい?おまえさんも裏木戸の錠をみにいったのかねえ?」
剪定に余念がない剛三郎だから、おおきな声でお芳が尋ねる。
「あ?吃驚させるな・・・あん?なんだというんだ」
「やだよ。昨日の男が外から入ってきたならおっかないじゃないか」
そう思って裏木戸の錠をたしかめにいったら、お前さんも
みにいってたんだね?
矢継ぎ早に畳み掛けるお芳に
剛三郎が笑いながら答えた。
「そうだ。おまえになにかあっちゃあいけない」
剛三郎の言葉にお芳は噴出すしかなくなる。
「こんなおばあちゃんのところにやってくる夜這いなんかいるもんかい」
「なになに・・・。すてたもんじゃないさ・・・」
剛三郎は背中ごしにお芳にこたえてみせたのは、
昨日の夜のお芳の様をいうのだろう。
「やだね、朝からなにをいうんだよ」
ちょいと、剛三郎をつねっておいて
お芳は朝飯を食べ終えたら
お登勢に約束したつかいをたのまなきゃと
思い直すと
「おまえさん。妙なことをいってないで、
早く、朝飯をたべてしまおう」
お芳の誘いに
「あとでいく」
と、こたえると、
先にたべてしまうよと
屋敷に上がるお芳をはすかいにみながら
剛三郎はまだ、口の中でつぶやいていた。
「なにが、みょうなことだよ・・・。
たしかにおまえはすてたもんじゃない」
だけど、
もっと、確かに夜這いだって
お登勢みたいに若くて別嬪な娘の方が良いに決まっている。
昨日の夜這いが裏木戸の鍵を閉め忘れた。
いや、
閉める隙が無かったというのが妥当であるが、
鍵を閉めなおしにきたついでに
足跡がのこっちゃいないのも確かめた。
夜露が振る前の乾いた地面には
剛三郎の足跡はのこっちゃあいなかった。
あとは、
お登勢が剛三郎だときがついているか、いないか。
気がついていて
黙っているなら、
お登勢とこの先馴れ合いをもてるということになる。
きがついていないなら・・・。
剛三郎も思いを遂げる策を弄するだけである。
いままで、さんざ、
お芳の甘声をきかせつづけたのも、
いつか・・・お登勢を・・・
こう思ったからだ。
どんどん美しくなるお登勢を
たおってみたいとも
我が物にしたいとおもいつめてしまうのも、
「それもこれも、お登勢が綺麗すぎるからだ」
確かにお芳もすてたもんじゃない。
だが、いったん、火がついた男の
執念というものは、
その火がきえるまでどうしようもないものなのだ。
お芳にやあ、すまないが、
俺にとっても、
お芳にとっても、
お登勢にとっても、万事まるくおさまるように考えている剛三郎である。
お登勢が
剛三郎を受け入れるだろうと
信じれる男は
「まあ、しあげはごろうじろ」
と、剪定はさみをちょんとならして、庭をあとにした。
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