僕は玄関の隅でぼんやりとつったっていた。
女がハローに別れを告げ、家の中にはいってくると、
僕にいった。
「大丈夫だよ。あいつらは、ここにはこない」
治外法権というほどに大げさなことじゃないけど、
GHQ絡みに話が進んでゆけば、
事が面倒に成る。
憲兵達が、仮に僕が此処にかくまわれたと感づいたとしても
手出しができない。
かといって僕が此処を出るまで、ずっと、外で見張っているわけにも行かない。
「しばらくしたら、かえっちまうよ」
女は小気味よさそうな笑みをうかべ、
部屋の中に入れと僕を促した。
女は先に立つと
僕を手招きして、
少し、笑った。
「やだね。あたしがこうやると、客をひいてるみたいだね」
女の言葉に僕は笑えなかった。
それは、
僕が女のいう意味合いが判らないからじゃない。
女に染み付いた
「娼婦」が哀れに思えたせいだ。
きっと、そこらのおばさんが、同じようにてまねきをしても、
「娼婦」をにおわすものひとつさえなかっただろう。
あわれなのは、
女が「娼婦」色の自分を熟知しているという事だ。
そして、女はそのせりふをはく事で、
「とって食いやしないよ」
と、「娼婦」でない自分を
僕に告知しなければならないことだ。
娼婦としてしか見られない女。
娼婦と侮辱される事に慣れてしまった女。
だけど・・・。
僕はいつも、思う。
町で見かける娼婦はきらびやかだ。
それは、服装のことを言ってるんじゃない。
身を売らなきゃ生きてゆけないという惨憺たる現状を
欠片ひとつ、みせず、
明るく
したたかに、
しなやかに、
笑っている。
僕は彼女達をたくましいと思っていた。
だから・・・。
女のせりふは僕には無用な言い訳でしかなかった。
でも、僕にそんなことを言わなきゃ成らないほど、
それは、たとえば、さっきの憲兵のように、
女の心の後ろ側を
汚辱にまみれさせ、
さげすまれる存在と自分を位置づけさせ、
それを許容しながら、あきらめるしかなかった。
と、いう事だろう。
たとえば、女の心を引きずり出し、
僕が鞭打てば、
女は必死に抗弁しただろう。
「どうすりゃいいというのさ?
死んでしまえというのかい?
娼婦という手段で
それでも、いきてちゃいけないのかい?」
僕は女のたった一言の下に
幾重にも積み重なる
「苦しみ」を、見た気がした。
それは、たぶん、
盗みをしながら生きてゆくしかなかった僕だったから、
感じ取ってしまった事柄かもしれない。
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