新型コロナで閉塞感が続く。
そんな状況下で一般の下々の人々は苦境にあるが、富める人はさらに富んでいく場面もある。
社会の制度や秩序の流動性が低まり、いわゆる下流の人達の立場が固定化されていくともいう。
不満や不遇の身がこれからも続くかと思うと、やるせない気持ちになる。
だがそうとばかりは言えないのが人生だという。
俳聖松尾芭蕉の句にこんなのがあった。
◆どんなところからも「新しい価値」を発見する
「枯れ枝に 烏のとまりけり 秋の暮れ」
あれは無価値、それも無価値、あなたは無価値、見捨てられた存在かもしれない。
だが、見捨てられたものに新しい価値を発見することもあるはずだ。
それが人生の面白さでもある。
枯れ枝はそれだけでは無価値だ。
同様に烏も無価値と言えよう。
しかし、その背景に秋の夕焼け空が赤々と輝いていたらどうか。
なんと、金屏風に墨絵を描いたような芸術的な風景ではないか。
枯れ枝も烏も、どちらも手品のように美しくなるものだ。
人生もそういったものかもしれない。
行動や活躍のステージを変えてみる、シーンを変えてみる、時間帯を変えてみる、考え方を変えてみる、
そういうことによって、評価が一変するということもあるのかもしれないと、芭蕉の句は教えてくれる。
なんとか自分自身にも新しい価値をみつけたいものです。
そんな状況下で一般の下々の人々は苦境にあるが、富める人はさらに富んでいく場面もある。
社会の制度や秩序の流動性が低まり、いわゆる下流の人達の立場が固定化されていくともいう。
不満や不遇の身がこれからも続くかと思うと、やるせない気持ちになる。
だがそうとばかりは言えないのが人生だという。
俳聖松尾芭蕉の句にこんなのがあった。
◆どんなところからも「新しい価値」を発見する
「枯れ枝に 烏のとまりけり 秋の暮れ」
あれは無価値、それも無価値、あなたは無価値、見捨てられた存在かもしれない。
だが、見捨てられたものに新しい価値を発見することもあるはずだ。
それが人生の面白さでもある。
枯れ枝はそれだけでは無価値だ。
同様に烏も無価値と言えよう。
しかし、その背景に秋の夕焼け空が赤々と輝いていたらどうか。
なんと、金屏風に墨絵を描いたような芸術的な風景ではないか。
枯れ枝も烏も、どちらも手品のように美しくなるものだ。
人生もそういったものかもしれない。
行動や活躍のステージを変えてみる、シーンを変えてみる、時間帯を変えてみる、考え方を変えてみる、
そういうことによって、評価が一変するということもあるのかもしれないと、芭蕉の句は教えてくれる。
なんとか自分自身にも新しい価値をみつけたいものです。