俳聖松尾芭蕉の句は、それぞれが味わい深い。
だがそれだけではなく、何か人生を考えさせられる気がするものだ。
おいらは、芭蕉のこんな句にも惹かれる。
◆やがて死ぬ 気色は見えず 蝉の声
「やがて死ぬ」、人生はいろいろあるが、ただそれだけのことだ。
そこには未練もなければ恐れもない。
風鈴の音を聞くと、涼しくまた寂しくもなる。
赤子の輝く目を見ると、気持ちは明るく前向きになる。
何かをじっと見たり聞いたりしていると、自分もそうなっていくようだ。
「やがて死ぬ 気色は見えず 蝉の声」
蝉は、植物の根から養分をもらって、数年、地中で幼虫として生きる。
外国では、13年蝉とか、26年蝉なんてのもいるらしいが。
それが地上に出て、羽を付けると、わずか一週間で死ぬ。
しかし、しきりに鳴く元気な蝉の声に死の恐れはどこにもない。
むろんこれは、蝉のことだけではない。
「やがて死ぬ」に芭蕉自身が重なっているのだ。
自分もあの蝉たちのように、あのように、まったく死を恐れずに、今この時を生きられるか、ということなのだろう。
なるほど、そんな達観に達したいものです。
「やがて死ぬ」、ただそれだけのこと、たしかに未練や恐れは薄れていくようです。
だがそれだけではなく、何か人生を考えさせられる気がするものだ。
おいらは、芭蕉のこんな句にも惹かれる。
◆やがて死ぬ 気色は見えず 蝉の声
「やがて死ぬ」、人生はいろいろあるが、ただそれだけのことだ。
そこには未練もなければ恐れもない。
風鈴の音を聞くと、涼しくまた寂しくもなる。
赤子の輝く目を見ると、気持ちは明るく前向きになる。
何かをじっと見たり聞いたりしていると、自分もそうなっていくようだ。
「やがて死ぬ 気色は見えず 蝉の声」
蝉は、植物の根から養分をもらって、数年、地中で幼虫として生きる。
外国では、13年蝉とか、26年蝉なんてのもいるらしいが。
それが地上に出て、羽を付けると、わずか一週間で死ぬ。
しかし、しきりに鳴く元気な蝉の声に死の恐れはどこにもない。
むろんこれは、蝉のことだけではない。
「やがて死ぬ」に芭蕉自身が重なっているのだ。
自分もあの蝉たちのように、あのように、まったく死を恐れずに、今この時を生きられるか、ということなのだろう。
なるほど、そんな達観に達したいものです。
「やがて死ぬ」、ただそれだけのこと、たしかに未練や恐れは薄れていくようです。