おいらは宗教心が薄い方だと思うが、それでも極楽にはあこがれる。
極楽というものがあるならば、ぜひそこに行きたいものだ。
だが、こんな極楽の感じ方があると教えられた。
真言宗のご住職だ。
◆飾らないことが本当の極楽
我々はいい加減、物、物、物、の生活から脱却すべきではないのか。
仕事を終えて自宅に帰り、暖かい湯船に身を沈めたときに、ああ極楽極楽と感じませんか。
それは、衣服という飾りを身に着けていないからなのです。
つまりは飾りのないことが、「極楽:極めて楽な状態」ということなのでしょう。
無防備かもしれませんが、張子の虎のように虚勢を張っていてはこんな心持ちにはなれません。
素の自分でいることで、心が自由になるものです。
物、物、物、の生活から脱却すると、心の飾りもとれて楽になるのです。
→う~ん たしかにそれもひとつの極楽なんでしょうね。
だが、みんながみんなそんな低欲望だと、経済発展は難しいのかもしれませんねぇ。
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