yuyuの日々

yuyuの日々の出来事です

ディープなクールベ、マネも真似られない「世界の起源」(2)

2021-12-06 17:29:00 | 美術館・絵画
パリのオルセー美術館で観たクールベの「世界の起源」(一部画像を修正してあります)

前回のブログからかなり時間が経ってしまいましたが、ブログのテーマは、クールベは何故ゆえに「世界の起源」を描いたのだろうか!

結論からすれば、
クールベを真似たマネが、さらにセザンヌやモネに真似られて、そこからオリジナルの世界を求めた結果、マネのある表現がクールベの逆鱗に触れて、マネを超えるために「世界の起源」を描いたというのがわたしの推論です・・・。

そこに行き着く前に、日曜日にイスラエル博物館所蔵 印象派・光の系譜(三菱一号館美術館)でクールベを観てきました。

波を得意とするクールベが描いた「岩のある風景」


そして、「森の流れ」


その二つの絵を真正面から見たのではなく、斜めから観てみると思いがけないものが見えてきました。

(その立体的な感動をこの画像では説明できません)

もしかしてクールベの頭の中には、観る人の視線「裸婦画は、本来はこの方向ではない」(それが普通の絵画)と知っていて、あえて絵画の視点というものに問題を投げかけたとしたら・・・

これなら真似できないので、マネに勝てるんではないかと!

もしかすると、ピカソの多面性を一面で切り取っただけとか・・・

う〜ん、この説は推論でしかありません。



ちょっとおまけですが、美術館の売店で売っていたビンテージポスター「麦をふるう女たち」を目にしました。


・・・実はこれ、私も模写してみたんですよね。

色鉛筆でクールベを。

中学校の授業で描いた以来、3枚目の絵です。
(私は美術は習ったことないし、学んだこともありません)
う〜ん、鉛筆の限界は低いですね。


コメント (1)
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オチャメなピカソ

2021-03-19 08:10:28 | 美術館・絵画
朝の食卓で。。。

「これどう? 」



新しいバターを出したとき
フタの紙をはがした跡を見ていたyoyoさん
何かしていると思ったら上に描かれた顔はピカソ風

うまいじゃないですか〜!
あなたってけっこう落書き上手よね


「ピカソってきっとオチャメな人だと思うよ」
そういうyoyoさんが
バルセロナにあるピカソ美術館に行ったときに買った
ポストカード

ロールパンを手に見せているピカソ
表情が…オチャメ〜カワイイ♪

「ピカソって、こんな風に
いっぱい落書きしてたんじゃないかな〜!」
そんな気がしますね
晩年に作った焼き物などに描かれた絵などは楽しげで
落書き?って感じしますもんね。。。
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ディープなクールベ、マネも真似られない「世界の起源」(1)

2021-03-06 08:07:10 | 美術館・絵画
パリのオルセー美術館で観たクールベの「世界の起源」(一部画像を修正してあります)です。

実際に、この目で見て現実を理解できませんでした。
絶対に言えることは、「これ以上の絵画は美術館には展示されていない」ということです。

で、考えました。
クールベは何故ゆえに「世界の起源」を描いたのだろうか!
その答えに迫ります。

このクールベの「画家のアトリエ」もオルセー美術館に展示してあります。

この作品はパリ万博では落選しましたが、非常に斬新な試みがあります。

この絵画の中で画家であるクールベはキャンパスに向かっていますが、描かれているのは風景です。
アトリエに裸婦のモデルがいるのは自然ですが、風景を描いている場に裸婦がいるのは不自然です。

さらに注目すべきことがあります。

モデルの前には彼女が脱いだ服があります。
モデルが裸になるので脱いだ服があるのは当たり前なのですが、裸婦としての絵画では(当たり前ですが)モデルが脱いだ服は描かれません。

これは「画家のアトリエ」という題だからできたことです。
従って、この題名で(実存する)裸婦とその脱いだ服を描くという発想は、クールベにプライオリティがあります。

そしてこの絵は、マネに大きなインパクトを与えたはずです。
マネは、クールベから実在する人物と脱いだ服というアイデアを盗みました。
わたしは、印象派の先駆けとしてのマネが発表した「草上の昼食」は、クールベのリアリズムが根源になっていると感じています。

「草上の昼食」は、実在する裸婦を描いたことがスキャンダルとなったとされている作品です。

ところが実際にこの絵画を実際にオルセー美術館で観たところ、手前側にいる三人は存在しない人物と感じました。

その理由は、あまりにも水浴している女性の描写がリアルだったからです。


本当は裸の女性のいない草上の昼食は、このブログと並列で再度アップしますので、総合的にご覧になってみてください。

・・・・・・・・・・・・・
実は、これからさらに続く内容はあまりにも内容が濃いので、執筆に時間がかかりそうです。
そこで、何度かに分けて再アップを重ねて熟成を図りたいと考えています。

今後の展開としては、クールベを真似たマネが、さらにセザンヌやモネに真似られて、そこからオリジナルの世界を求めた結果、マネのある表現がクールベの逆鱗に触れて、マネを超えるために「世界の起源」を描いたというのがわたしの推論です。

ますますディープになりますが、絵画探偵頑張ります。








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ルイ14世の愛人三姉妹

2020-11-18 10:14:46 | 美術館・絵画
フランスのロワールの古城で観ました。

お城の売店でコピーを買ってきて、額に入れ自宅の寝室に飾りました。

インクの質に限度があって、実物の色には程遠いです。
でも、これだけイレギュラーな絵画はある意味貴重ですね。

これは絵画を直接撮影したものです。


神話のニンフではなく、美人画でもない。
ただの裸婦画を描かせちゃうなんて、ルイ14世の権力の凄さを感じさせる愛人三姉妹の絵画。
有名な画家ではないはずなので、ネット検索では探せない画像だと思います。




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ジェラール・ディマシオ作品

2020-10-08 14:25:05 | 美術館・絵画
北海道立近代美術館に行った時に見た
連携美術館〝ディマシオ美術館〟の作品の一つです。。。

作品前にて…


ポーズをとる人に私は意味がわからず撮りました




そういうこと~!
描かれている人物に共鳴したということですねきっと

先ほど写真を見返していてわかりました。。。

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ピカソが描いた「ラス・メニ―ナス」の意味するところ

2019-12-07 11:20:18 | 美術館・絵画
ピカソは、ベラスケスの「ラス・メニ―ナス」を題材にして多数の絵画を作成しました。

バルセロナのピカソ美術館では、それらをまとめて展示してあります。
右側に配置してあるのが、その一覧です。

まず全体像を、ピカソ的に描いたのがこれです。


そして、これらの登場人物を切り取っています。

それぞれの人物には番号をふってあります。

これは中央のマルガリータ王女ですが・・・

どうやらマルガリータ王女を正面から描いたのではなく、全体像の「3」の女性から見た顔ではないかと思われます。
つまり向かって顔の右側は、「3」の女性から見たマルガリータ王女「2」の横顔であり、左側は「5」の横顔のように見えます。

また、この絵のマルガリータ王女は、「4」または奥にいるベールを被った女性の横顔に見えます。

そして侍女の手は、男性自身と思われる黒い一物に添えられています。

オリジナルと比較してみてください。

美人さんの白指の手つきからエッチな想像をするお茶目なピカソです。

構図はほぼ同じですが、マルガリータ王女は、両隣の「3」と「4」の女性の顔を描いたように感じます。

侍女の手は、オリジナルに戻してあります。

このようにして、どの視点でマルガリータ王女を描いたのか想像してみるのがピカソの絵画の楽しみです。








ところで!、なぜピカソがキュビズムに達したのかというと、ピカソは絵がヘタクソだからです。

特に手の描写が苦手です。
一生懸命書いた医師の手は緊張しすぎているし、反対に病人の手はきちんと描ききれていません。

ピカソは、手を大きく描きすぎる傾向があります。


だから、青の時代があり赤の時代があり、そしてキュビズムを前面に押し出してみれば自分が勝てると思ったのでは?


そのコンプレックスから解放されると、様々な手指を描けることができます。














このようにして、わたしがピカソに対して思ったことを5つのブログに分けて公開しました。
まあ、わたしは美術など習ったこともないし絵画を描いたこともありません。
絵画に興味を持ったのも最近です。
だから自分の観点で好きにまとめてみました。





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ピカソって・その4

2019-12-06 04:29:09 | 美術館・絵画
ピカソって、これだけの視点を同一のものと感じられる能力があるのに・・・


女性の裸体を描かせるとまるでダメなんですよねー


要するに、こんな絵しか描けない。


今回の旅で、バルセロナのピカソ美術館とパリのオルセー美術館を続けて訪れたことがピカソの理解に非常に役立ちました。

こちら、ピカソ美術館の裸婦ですが、描写の未熟を青の時代の技法でごまかしているだけにしか見えません。


で、こちらはオルセー美術館。

え〜い、ひかえおろう!!!
このピカソさまのキュビズムが目に入らぬか〜〜〜〜〜

というのが私の理解したところです。

つづく



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ぴかそって・その3

2019-12-03 05:01:27 | 美術館・絵画
バルセロナのピカソ美術館でいいのは同一の作品群をまとめて展示してあることです。

私はこの絵がピカソの原点ではないかと思えます。
つまり、画家の単一の視点ではなく別方向からの視点を描きこむという手法です。

この絵が分かりやすいでしょう。

ピカソとしては単純で、二方向の顔です。

そしてそれを着色しました。

色彩が多様なのは、ピカソが光を別次元の二方向で捉えているからです。

それを表現する技法としてキュビズムがあるように思えます。


だからこうなります。

このように考えるとピカソが理解できるように思います。

ね!
そう思うと、この絵の価値が分かりませんか?

わたしはこの絵が好きです。

ピカソって、いくらきれいな絵を描こうと思っても、とてもとても無理なのですね。


この絵には少なくても9人の女性が描かれています。
さらにあと2人はいそうに見えてくるのですが・・・

そのような多様性の視点を同一平面にすることがキュビズムとなるのではないかと考えられます。

ピカソの絵を、統合失調症的な観点で理解することができると、さらに味わいが深くなるように思います。


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ピカソって・その2

2019-12-02 03:06:28 | 美術館・絵画
バルセロナのピカソ美術館でピカソを堪能してきました。
ここに展示されているのは、ピカソの作品の売れ残りじゃないかなと思うものが多く、その分興味深いものがあります。

この絵が上手いか下手というよりも、一生懸命描いたのは分かるけど売れる絵ではないよね。
陰鬱すぎて・・・

そこで、こんな絵を描き始めました。

やはり暗い。
青の時代では、自分の特徴を出したかったのだと思うけど、商業的な成功とはいかなかっただろうね。

ピカソの陰鬱って、自分の性格の真逆だと思います。

ほんとは、こういう性格らしいです。

そして自由。

晩年は、エッチないたずらがき(?)な絵をかなり描いています。
これは、ピカソ美術館の売店の絵画集を見て分かりました。

だから、青が売れないと分かると、逆の方向へと行ったようです。

自分の特徴を出すことを模索して、ゴッホを真似たのだと思いますが・・・
キレイな絵だけど感動はないね!

ゴーギャンも試みてみました。

この絵を中学校の廊下に貼っておいても違和感を感じません。

で、アルルの女です。

この絵はピカソだから価値があるのであって、それ以外のものではないと思います。

私は、この絵は好きです。

このような捉え方って、ピカソ以外にはないように思います。

キュビズムって、ピカソが画家としてのpriorityにこだわった努力の賜物だと思います。




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アルルの女

2019-12-01 19:37:51 | 美術館・絵画
ピカソって絵がへただよね。

・・・と思います。

アルルの女は、それを煙にまくキュビズム。

わたしのアルルの女は、この女性。

アルルの海岸にて・・・









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