YとYの日々

Yuyuの日々の出来事と、時より登場するYoyoの交換日記のようなブログです

大腸癌 生死の堺から生還して

2024-10-01 06:39:35 | ささやかなこの人生
これは14年前の私です。

がんセンターでお腹を開いて、盲腸と上行結腸を切除して病院から出たところです。

「ご注意」
これから先は、医学的な内容と生死感を含みますので、ご興味ない方は閲覧しないでください。


最初にがんセンターに行った時、私が持ってきた画像を見て。

先生「ああ、ガンですね」

先生「でも何でPET検査なんかしたの?」
私「がん検診をやりました」
先生「何か自覚症状があったのですか?」
私「自覚症状は全くありませんでしたが、何となくガンが気になりました」
先生「PETはねえ・・・」
私「でも侵襲性の比較で、大腸内視鏡があまり好きではなかったもので・・・」

この時の私の大腸です(刺激を避けるため白黒にしました)。

大腸癌って、ここまで大きくなっても自覚症状はありません。
(強いて言えば、やたらとカレーが食べたくて、毎日酒のつまみがカレーでした)

いちお、ガンの名医100人に名を連ねる先生に手術をしてもらいました。

オペ室からICUに向かいます。

実はこの後ICUで、新人看護婦に硬膜外麻酔(EPI)を間違って外されて、死ぬほどの痛みを味わいました。
腹開かれて、大腸とリンパをごっそり取られて、それで麻酔なしで一晩過ごす!
多分、こんな貴重な体験を得た幸せ者は他にはいないでしょう。

術後「癌は腸壁の外まで出てましたが、腹膜との癒着はありませんでした」とのことです。

丸印が癌組織です。

別の言い方をすると、病理検査では大腸壁の一番外側の漿膜、つまり最後の皮一枚が「ガン細胞マイナス」でした。


多分・・・
自覚症状が出てから病院に行っても、すでに腹膜内に転移していたでしょう。
あと何ヶ月か遅れていれば、抗がん剤の治療をしても、まあ5年ほどの余命だったはずです。

先生「あなたは薬のことよく知ってるでしょうから、飲みたい薬があったら何でも出しますよ」
私「いえ、補助化学療法は結構です」
先生「退院日は、自分の方が分かるだろうから決めて下さい」
私「お粥が並飯になったら、それを一食食べてから帰りたいです」


先生「それだと月曜日になるから、普通は木曜日の管理栄養士の術後の食事指導を受けてからになりますが」
私「私は、管理栄養士の先生をしていたので食事は大丈夫です。それよりも家では犬たちが待っているのです」


先生「じゃあ、そうして下さい」
私「ありがとうございます」

その13年後、大腸内視鏡でポリープが見つかったため、がんセンターで切除してもらいました。

これは、当時から持っていた扁平ポリープのへん平くん(画像右下)、下行結腸の一番上にありました。
「いや〜、ポリープの切除でポリープに未練がある人は初めてですよ」「でも取ります」と医者に言われました。
結局、13個のポリープを切除して、1つだけ前癌状態のポリープがありました。
(術後13年、そろそろかな〜という感が当たりました)
「これで、次の検査まで5年は大丈夫」と先生のお墨付きをいただきました。
(がんセンターだから徹底的に取りましたが、普通のクリニックだったら2〜3個取って、また来年いらっしゃいって言われたかも?)

PETでがん検診なんて、一部の病院でやってますが!

左の画像は、ガンを見つける2年前のもので、右が見つかった大腸癌です。
2年前ではPETに引っ掛からなかったですが、この時に内視鏡検査を受けていれば、おそらく内視鏡で切除できたはずです。
でも、何故か癌が気になって、再びPETをやったら立派なステージ2の癌が見つかったのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

これまで癌以外にも、コインの裏表のようにどちらかに転ぶと死んでいたという出来事が、車で1回、バイクで1回、木から転落して1回、山で1回ありました。
つまり確率論からすると。
0.5✖️0.5✖️0.5✖️0.5✖️0.5=0.03
現在、自分が生きている可能性は3%程度です。

確率論では低いですが、それぞれの出来事で、何かが良い方向に転んでいます。
何かが起こるときは、いくつかの要因があり、全てが死ぬ方向に向かうのか、その中のどれかをプラスに転じて生き抜くかで決まるように思います。

日光で木の切断中に、チェーンソーを持ったまま木の枝に跳ね飛ばされて4m真っ逆様に落下して、もし裏返しで後頭部から落ちていれば石に頭が当たりましたが、顔を下にして落ちたので地面の石が見えて、瞬間的に右手を返して受け身が取れました。
事故調査の警察官に「普通だったら死んでます」と言われました。
全身打撲、足が動かなくて救急車で運ばれたけど、1日の入院で無理やり帰ってきました。

山といえば、女峰山で、ほとんど足が付かない急斜面を登坂中に、崖に生えていた木に頭をぶつけ軽い脳震盪、ふわ〜と谷底に落ちそうになったけど、登坂前にリュックを置いてきたので何とかバランスを保てました。
もしリュックを背持ったままだったら、重心がズレて谷底まで落ちていたでしょう。


これ以外にも人生を左右する沢山の出来事で、何かがプラスであったような気がします。
自分の努力もありましたが、かなり運の良い人生だなと思います。


このブログは、「巨大熊と遭遇」を書いてから書き足しました。
巨大熊と遭遇したくらいじゃ、「生死の堺から生還して」には入らないからです。
そういえば、巨大熊と遭遇したのと同じくらい怖かったのが、子供の頃の相模原調圧水槽での出来事です。

調子に乗って、
「相模原調圧水槽」に続く


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