これは現在の相模原調圧水槽です。

高さ50mもあります。
このお話は今から半世紀以上前のことです。
そして、生死の境以前の出来事の思い出です。
相模原公園ができる前の麻溝は、ススキの原でした。
そこには大きな沈殿池があり、米軍の射撃訓練場がありました。
そして、そこから水道みちを通って横浜まで津久井の水を送っています。
その水道みちの脇に、不思議なものがありました。

今と違って、誰もそんなところに行くような人はいなかったのですが、チャリであちこち探検が好きなY少年はその不思議な造形物に興味がありました。

ある日、その前を通りかかったら、かねてから思っていたことを(つい)実行してしまったのです。
土で盛り上げた斜面を登り、かなり錆びている鉄梯子に登ってみました。

この建造物は、高さ16m・直径16mだそうです。
やはり16mは高い・・・

錆びてボロボロになった梯子は、途中でぶらぶらしているし・・・。
怖くなって、早く登ってしまって。
梯子から、手を伸ばすと、先につかめるところがありました。
で、手をかけてぐいっと引き上げた先に見えたものは、膨大な水流でした。

これは日光にある用水路の水を分配する仕組みですが、減圧水槽の渦巻きはこんな優しいものではありません。
この直径16mの水流を上から覗き込んだのです。

小学生の自分にとって、かなりの恐怖でした。

この減圧水槽は、戦後の鉄不足のためにコンクリートで作った水道管を増水による圧力から守るために作成されたようです。

もしも、この水槽に落ちていたら、多くの横浜市民が私のDNAを飲むことになっていたはずです。
自分としては、「生死の境以前の出来事の思い出」ですが、巨大クマと出会ったことと共に、記憶に残る出来事でした。
もう自分の人生としては、最後のコーナーを曲がった時代に向かっているように思います。
これまで自分を生かしてくれた神様に感謝して、山歩く時も鈴つけて転倒に注意してカメラを壊さないようにしたいです。

高さ50mもあります。
このお話は今から半世紀以上前のことです。
そして、生死の境以前の出来事の思い出です。
相模原公園ができる前の麻溝は、ススキの原でした。
そこには大きな沈殿池があり、米軍の射撃訓練場がありました。
そして、そこから水道みちを通って横浜まで津久井の水を送っています。
その水道みちの脇に、不思議なものがありました。

今と違って、誰もそんなところに行くような人はいなかったのですが、チャリであちこち探検が好きなY少年はその不思議な造形物に興味がありました。

ある日、その前を通りかかったら、かねてから思っていたことを(つい)実行してしまったのです。
土で盛り上げた斜面を登り、かなり錆びている鉄梯子に登ってみました。

この建造物は、高さ16m・直径16mだそうです。
やはり16mは高い・・・

錆びてボロボロになった梯子は、途中でぶらぶらしているし・・・。
怖くなって、早く登ってしまって。
梯子から、手を伸ばすと、先につかめるところがありました。
で、手をかけてぐいっと引き上げた先に見えたものは、膨大な水流でした。

これは日光にある用水路の水を分配する仕組みですが、減圧水槽の渦巻きはこんな優しいものではありません。
この直径16mの水流を上から覗き込んだのです。

小学生の自分にとって、かなりの恐怖でした。

この減圧水槽は、戦後の鉄不足のためにコンクリートで作った水道管を増水による圧力から守るために作成されたようです。

もしも、この水槽に落ちていたら、多くの横浜市民が私のDNAを飲むことになっていたはずです。
自分としては、「生死の境以前の出来事の思い出」ですが、巨大クマと出会ったことと共に、記憶に残る出来事でした。
もう自分の人生としては、最後のコーナーを曲がった時代に向かっているように思います。
これまで自分を生かしてくれた神様に感謝して、山歩く時も鈴つけて転倒に注意してカメラを壊さないようにしたいです。