相沢祐一の『北信越(北陸・信州・越後)』乗り撮り鉄道記

※このブログは以前のYahooブログの記事のバックアップです。
そのためこのブログの更新はありません

2017年1月14・15日『えちごツーデーパス』での糸魚川快速と現美新幹線の旅・第1日目その1「大荒れの日、糸魚川駅から廃止前の485系新潟行き快速に乗りました」

2018-03-24 23:34:12 | 鉄道乗車・撮影記2017
2017年1月14日と15日の2日間、「えちごツーデーパス」を使った旅をしました。ただ、この日は大雪で天候が大荒れでした。糸魚川市はなんとも無かったのですが・・・



2017年1月14日の糸魚川駅です↓
イメージ 1
イメージ 2
こんな切符もありました。


7時58分発の快速新潟行きに乗ります↓
イメージ 3
イメージ 4
事前に購入していました。



ホームです↓
イメージ 5
イメージ 6
ここで待ちます。


485系がホームに入線します(動画)↓



このまま快速新潟行きになります↓
イメージ 7
イメージ 8
車内の様子です。


席に座ります↓
イメージ 9
イメージ 10
発車を待ちます。


ETR糸魚川駅を発車しました(動画)↓




走行中の風景です↓
イメージ 11
イメージ 12
大雪なんて信じられないくらいでした・・・しかしその認識が間違っていた事をいやでもわかる時がくるとか・・・・



少し雪が多いかな?と思っていたらETR直江津駅に近づいてきました。そしたら・・・大雪でした。



次回、第1日目その2「ETR直江津駅は大雪で混乱していました」に続きます。それでは・・・






         Written by てつ人28面相



2017年1月7~9日の「普代水門と防潮堤」を見る旅(最終回)・第3日目その6「二度あることは三度あってはならない」

2018-03-24 23:07:06 | 非鉄旅2017

前回は、宮古市田老地区の防潮堤を見たところまででした。ひたすら高速道路で帰ります。



そして、午後3時頃にこのPAで休憩しました↓
イメージ 1
ここでこの日の朝に購入した「うに弁当」を食べました。


その後、新潟へ戻り、レンタカーを返却し新幹線などを経由して帰りました。



今回は、事実上1日しかいなかったです。実際に現物を見るとすごいと改めて感じました。


なぜ、「譜代水門」などを見に行きたかったと申しますと下記の「ニコニコ動画」を見たからです。


作品「防潮堤」
http://www.nicovideo.jp/watch/nm23067622
(何回見ても泣けます。このような政治家って、今の日本にはいなくなった)


改めて、住民のためにご尽力賜りました、故和村幸得元村長に敬意を表し今回の旅の締めとします。



最後に改めて、「東日本大震災」を振り返る動画です↓




それでは、また!!






         Written by 宇在井 肝一郎



2017年1月7~9日の「普代水門と防潮堤」を見る旅・第3日目その5「宮古市田老地区には、震災前には防潮堤がありました」

2018-03-24 22:38:15 | 非鉄旅2017

前回は、普代村を出たところまででした。




「宮古市田老地区(旧田老町)」へ向かいます↓
イメージ 1
イメージ 2
案内図です。


ここから海を見ます↓
イメージ 3
イメージ 4
この風景からあの津波は想像できない。



そして田老地区中心部です。奥にあるのが、防潮堤でした(震災で損害を受けた)↓
イメージ 5
防潮堤の高さが約7.7m・・・「太田名部防潮堤」は15mです。今考えると低いな。
(建築が戦前、たぶん津波の高さが想定外だったのかな?普代村元村長は過去の経験などで高さを決めたらしい)


これを見て、すべて万能なのはないと思いました。



このまま何とかして「東北自動車道」に乗り、ひたすら新潟方面へ。そして鉄道で帰りました。その途中で少し休憩しました。次回は、この旅の総括をします。



次回最終回、第3日目その6「二度あることは三度あってはならない」に続きます。それでは・・・・







         Written by 宇在井 肝一郎



2017年1月7~9日の「普代水門と防潮堤」を見る旅・第3日目その4「『太田名部防潮堤』を見て、普代村を後にしました」

2018-03-24 08:06:31 | 非鉄旅2017

前回は、『譜代水門』の様子でした。そこから移動します。




「太田名部防潮堤」の近くにきました↓
イメージ 1


近くに停めます↓
イメージ 2
イメージ 3
奥に見えるのがそうですね。



「太田名部防潮堤」です↓
イメージ 4
イメージ 5
正面は海です。


防潮堤を近くで見ます↓
イメージ 6
イメージ 7
正面右の青い看板に津波約12m(実際は13mを少し超えたとの話もある)とありました。防潮堤の高さは15mなので、完全に防いだ形になりました。


狭いエリアだったので巨大な防潮堤が可能だったのでしょう↓
イメージ 8
イメージ 9
裏側です。



漁港では、工事が続いています↓
イメージ 10
イメージ 11
震災後は壊滅的被害でしたが、現在は復旧しています。


この姿から想像できないくらい津波がすごかったようです↓
イメージ 12
イメージ 13
漁業関係者の事務所のようです。


※2017年だったかなTV番組「ぐるナイ」のゴチになりますコーナーでこの漁港が紹介されたな。震災の件は触れていなくて、魚介類の説明がメインでした。



そして普代村を離れました。そして宮古市田老地区へ向かいます。そこは震災前にも有名だったのですが・・・・



次回、第3日目その5「宮古市田老地区には、震災前には防潮堤がありました」に続きます。それでは・・・







         Written by 宇在井 肝一郎



2017年1月7~9日の「普代水門と防潮堤」を見る旅・第3日目その3「改めて『譜代水門』のすごさがわかりました」

2018-03-24 07:10:15 | 非鉄旅2017

前回は、『譜代水門』に到着したところまででした。その続きです。



『譜代水門』です。結構大きいです↓
イメージ 1
イメージ 2
水門の上から海を見ます。当時ははるかに巨大な約21mの津波が迫ってきました。


水門の高さは15mなので、津波は水門を超えました↓
イメージ 3
イメージ 4
しかし、水門を越えた時点で津波の力が削がれ、譜代小学校付近で止まり被害は最小限に食い止められました。


昭和時代に建てられました↓
イメージ 5
イメージ 6
『譜代水門』はこの位置です。


正面から見ます↓
イメージ 7
イメージ 8
イメージ 9
今は、静かな海に戻っています。



その後、『譜代水門』から移動しました。次は、「太田名部防潮堤」に移動します。



次回、第3日目その4「『太田名部防潮堤』を見て、普代村を後にしました」に続きます。それでは・・・・







         Written by 宇在井 肝一郎