<以下の文は2014年7月に書いたものですが、一部修正して復刻します。>
ヨシフ・スターリン
旧ソ連の独裁者・スターリンはいろいろ批判されてきたが、一昨年(2012年)、サハリン・樺太を旅行するうちに、サハリンや千島列島の「ロシア領有」は彼のお陰ではないかと強く思うようになった。いや、事実、ヤルタ秘密協定などで、スターリンとその一派が戦後の極東アジアの領有権体制を確立したのだ。そういう意味で、ロシア人はスターリンに感謝しなければならないだろう。
スターリンは残酷な性格で、大粛清に見られるように反対派を容赦なく弾圧、処刑したりした。また、独裁を強化して“個人崇拝”を推し進め、ソ連社会を歪(いびつ)なものにしたのは間違いない。このため 死後、スターリン批判が巻き起こり、彼の名声や権威は大きく失墜したのである。
しかし、連合国首脳とのヤルタ会談(1945年2月)で、スターリンが樺太(サハリン)南部や千島列島などの領有を主張し、アメリカのルーズベルト大統領らの同意を取り付けたことは、極めて大きな成果だったと言える。 そして、ルーズベルトらとの約束を守り、ナチス・ドイツ降伏後の90日以内、つまり1945年8月8日きっかりに日本に参戦、ソ連軍は旧満州や南樺太へ侵攻してきたのだ。ソ連軍の進撃は、日本にとって大変 悲惨な結果を招いたが、ここで詳しく述べる必要もないだろう。 日ソ中立条約を一方的に破棄して侵攻してきたから、当時の日本は“悪夢”を見る思いだったに違いない。
日本の敗戦は、米軍の大空襲や原爆投下などが大きな要因だと言われるが、むしろソ連の「対日参戦」が決定的なものではなかったか。なぜなら、日本は中立条約を結ぶソ連に対し、戦争終結のための和平交渉の仲介を打診していたからだ。その相手に、日本は完全に裏切られた。これほどショックなことはない。
歴史を詳しく検証する時間はないが、スターリンとその一派によって、樺太も北方領土を含む千島列島も全てソ連が領有するところとなった。国際法上 大きな疑義があり、これは今でも北方領土問題として尾を引いている。 スターリンはさらに、北海道北部の占領を目指していた。しかし、さすがにこれはアメリカの反対に遭って実現しなかったのだ。
今は平和で穏やかなサハリンを訪れると、あちこちにレーニンの銅像が建っている。共産主義・ソ連はとっくに崩壊したというのに、レーニン像があるのは何か違和感を覚えるが、それだけレーニンは人望があるということか。 さすがに、スターリンの銅像は建っていなかった。しかし、サハリン・樺太が今やロシア領として発展しているのは、レーニンではなくスターリンのお陰なのだ。スターリンが日本から取り返したのだ!
さんざん批判されたスターリンだが、これが歴史の皮肉と言うのだろうか。サハリンでレーニン像を見るたびに、私の胸にその思いが去来した。 政治家は決定的段階において、断固たる行動を取らなければならない。レーニンもスターリンもそうだったと思う。
巨大なレーニン像(ユジノサハリンスク)
ここにもレーニン像(ホルムスク)、スターリン像はない!
いずれにせよ、矢嶋先輩の記事は、プロだけあって読みがいがあります。毎日の訪問が楽しいです。
旧日本兵のシベリア抑留も、スターリンの復讐そのものです。ロシア革命後の日本のシベリア出兵と干渉を、彼は根深く恨んでいました。
この記事は少し逆説的ですね(笑)。 決してスターリンを高く評価しているわけではありません。