<以下の文を一部修正して復刻します。>
寿命について考えてみたい。この前ふと、夏目漱石のことを調べていたら、彼は49歳で他界しているのだ。え~!?、そんなに若くして亡くなったのかと思ったが、事実である。
「則天去私」などと悟りきったことを言っていた漱石は、今の自分より30歳以上も若いうちにあの世へ旅立ったのだ。49歳なんて、自分から見れば“若造”もいいところである。それなのに、大作家ともなるとやけに老成した印象を受ける。
昔は「人生50年」などと言われた。平均寿命が今よりずっと短かったからだ。これはどこの国でもそうで、ロシアでは50歳を過ぎて生きているのは一種の“罪悪”といった格言もあった。レーニンが50歳を超えた時に、その格言を引用していたのを何かの本で読んだことを覚えている。(レーニンは53歳で亡くなった。)
人生50年なんてむろん古い話だが(今は“人生100年”と言われるが)、それにしても昔の人は、比較的短い人生を凝縮した形で生きたのだろうか。もちろん、昔でも長生きした人は大勢いる。例えば文豪で言うと、ゲーテやトルストイは80歳を超えても生きていた。しかし、著名な人でも寿命は概して短い。短いのに、えらく老成している感じを受けるのだ。
俳聖と言われた松尾芭蕉は50歳、西郷隆盛(南洲翁)は49歳で亡くなった。2人とも日本人には馴染み深いが、なにか“人生の師”といった印象を受ける。今どき49歳や50歳と言ったら、会社や役所の課長クラスで働き盛りではないか。
もちろん、舞踊や生け花、茶道などの世界では、50歳ぐらいでも「師匠」と呼ばれる人はいる。しかし、一般社会では、50歳なんてまだまだこれからの年齢と言えるだろう。
長寿社会の現代は、80~90歳を過ぎても元気の良いお年寄りが大勢いる。それはたいへん結構なことだ。自分もそのぐらいまでは生きていたいと思うが、昔の人のように“凝縮”した人生が送れるだろうか。 散漫な日々を送っている自分にはとても無理だろう。しかし、医学が進歩した今日では長生きして当たり前だ。出来れば、安楽死や尊厳死を考えない生き方をしたいものだが・・・
画家より作家の方が自己中心的で、いろいろな思いが強いのでしょう。自分の理想や信念を主張しやすく、このため現実と衝突して、いつの間にか追い詰められることがあります。
一概には言えませんが、画家は現実や全体を受け入れるのに対し、作家は往々にしてそれらを批判し、結果的に自分を追い込んでいく習性があるのでしょう。壁にぶち当たるのですね。
うまく言えませんが、そういう違いがあると思います。
そこへいくと画家達は長命と云えるでしょう。そして画家達は、無いことはありませんが、自ら命を絶つ人は作家に比べとても少ないと思います。
なぜなんでしょう?知りたいところです。
怒ってばかりではありませんが、怒らないといられないことがあります。
これも生きている証でしょう(笑)。
あまり世の中に怒ってばかりだと体に良くないですよ(笑)
我々の年金が先細る昨今、長生きしても不安です。
伊勢正三さんがプレゼントした曲ですか。イルカにとっては最高ですね!
作詞・作曲は 伊勢正三氏(元かぐや姫)です
フォークデュオ「風」伊勢氏と大久保氏の2名.
伊勢正三氏が,イルカにプレゼントしてしまった曲です
春だというのにこの雪。さっきからイルカの「なごり雪」を聴いています(笑)。