<2011年2月に書いた以下の記事を復刻します>
サラリーマンはほとんどの人が精算の経験があるだろう。精算をしたことがないという人は幸せである。まあ、そんな人は滅多にいないと思うが。
自分も38年近くサラリーマンをやってきたから、ずいぶん精算の経験がある。月末などになると、領収書を集めたり整理して経理の方へ渡す。それの繰り返しだった。
よく思い出すのが“接待”の精算だ。接待の経験がないサラリーマンも少ないだろう。お客さんを料理店などに招いてするアレだ。どれだけ接待したか分からない。正直言って、会社の金でずいぶん飲んだり食ったりしたものだ。逆に接待されることもかなりあった。
現役時代は某テレビ局の報道に長くいたから、デスクをやっていると1カ月に1回必ず精算に追われる。現場の記者たちに「領収書をあげてくれ」と指示する。自分も溜めこんだ領収書を適当に仕分け、整理し裏書きをする。こうして経理や総務を通過していくのだ。
ところで、報道を離れある部署に移った直後、海外の放送事業の実態を調べろと言われ、たしか上海、香港、ジャカルタ、シンガポールを回ったことがある。1週間ぐらいの強行スケジュールだったが、旧郵政省(今の総務省)の係長さんを団長に担ぎ上げ他のテレビ局の担当者と一緒に随行した。
その部署では初めての海外出張だったので、上司が余裕を見て2000ドル持っていけと言う。ところが、この金は自由に使うことができるのだが、大変なハードスケジュールだったのでなかなか自由に使う時間がない。そのうち、へそ曲がりの私は「どうせなら全部残してやれ!」と思うようになった。そう思うと人間は“意地っ張り”になるもので、結局、1ドルも使わずに帰国した。領収書は1枚もなし。そんなことはもちろん初めてである。
私が庶務の女性に2000ドル全部を返すと、彼女はびっくりして「本当に何も使わなかったのですか? タクシー代も?」と聞いてくるから、「ああ、全く使わなかったよ」と答えておいた。
会社の金でさんざん飲み食いしてきた自分としては、あの時が一番“痛快”だった。庶務の女の子は、変な人が職場に来たと思ったかもしれない。
さて、どうも“偏屈男”の手前味噌になるようだが、自腹を切ることもよくあった。会社の金で大いに飲み食いしていると、たまには殊勝な気分になることもある。そういう時は意外に自腹を切るのだ。もっとも、料金が安い時だけだ(笑)。いちおう領収書はもらっておくが。
また、政治家のパーティーやタレント主催のセレモニーなどの際は、こちらが言わなくても相手が必ず領収書を発行してくれる。それが慣例である。
ある時、某報道番組の司会をやってもらった古館伊知郎氏の結婚披露宴があった。私はその番組の責任者だったのだが、どういう訳か古館氏から披露宴の案内状が届いた。ふだん全く面識のない彼だったが、単なる番組の縁で事務方が送ってきたのだろう。
断っても良かったが、上司の部長に相談したら「出ればいいじゃないか。お祝い金はあとで精算してよ」という返事だった。
そこで、いくら包んだら良いのか分からなかったが、2万円をお祝いとして包んだ。たぶん、列席者の中では最低の金額だっただろう。披露宴は実に和やかなもので見ていて気持が良かった。故筑紫哲也さんらも列席していた。
たっぷりとご馳走になって、帰り際に立派な引き出物をもらった時、欲張りの私もさすがにこれは会社に請求しては駄目だと思った。この件は精算なしで終わった。
そういうこともあったが、私は現役時代に会社の金は存分に使ったと思う。それでいいのだ。「金は天下の回りもの」と言うではないか。一個人を通じて金はあちこちに回っていくのだ。その中で、たまには自腹を切ることもある。
会合の接待費もゴルフ代金もパーティー代も、世の中をぐるぐる回っていくのだ。資本主義も社会主義も関係ない。金は天下の回りものである。そういう時こそ、世の中は最もスムーズにいっているのだ。
どうやら、最近の日本は金が回っていないようだ(笑)。社内留保ばかりしているのは、どこの大企業だ!?(爆) (2011年2月24日)