<以下の文を復刻します。>
源氏と平家・・・日本人には最も馴染みの深い武家の名字である。私たちは子供の頃から「平家物語」や「源平盛衰記」などに慣れ親しんできた。源義経(幼名・牛若丸)の活躍や平敦盛の悲話など、数多くの物語に共感して育ってきたのである。
子供の頃はだいたい、源氏が好きになるものだ。私も源氏が大好きだった。武士らしく勇ましい“坂東武者”が、平家の軍勢を次々に打ち破っていく姿に心をときめかせた。特に一谷(いちのたに)、屋島、壇ノ浦と続く源平最後の決戦は、義経の天才的な采配を軸に見事な軍記物語になっている。平家一門が入水する安徳天皇を奉じて滅亡する姿はなんとも哀れで、「驕れる人も久しからず・・・たけき者もついには滅びぬ」の言葉が胸に響いてくるのだ。 平清盛を中心に権勢を振るった平家はこうして滅んだのだが、源頼朝・義経兄弟らが父の仇である平家を追討したことに大いに感銘した。だから子供の頃、若い頃は源氏が好きだったのである。
ところが、年を取ってくると、だんだん源氏が嫌いになり平家の方が好きになってきた。それは滅亡の姿が余りに対照的で、平家の方は実に美しいのに、源氏の方は非常に陰惨で醜いからだ。ご承知のように、平家一門は総じて壇ノ浦でまとまって滅んだ。要するに“散り際”が潔くきれいだったのである。
これに比べて、源氏の方はどうだろうか。せっかく平家を討ったというのに、頼朝は弟の義経を追放し、やがて奥州・衣川の地で死に追いやっている。頼朝はさらに、もう一人の弟で平家追討に功績のあった源範頼も殺した。要するに近親憎悪、骨肉相食むの所業を行い、自ら源氏の力を衰えさせたのだ。
頼朝の死後はどうだろうか。これがさらに酷い。頼朝の長男・頼家が鎌倉幕府2代将軍として跡を継いだが、頼家は母・政子の外戚である北条氏に伊豆の修善寺で殺された。その跡を継いだ弟の3代将軍・実朝は、なんと頼家の子(つまり甥)である公暁に鶴岡八幡宮で殺された。公暁も鎌倉方に殺されたから源氏はこれによって滅亡したのである。(もちろん、これは「清和源氏」の嫡流が滅んだという意味だ。)
なんと呪わしいことだろうか。平家一門では骨肉相食むのような所業はほとんどなかった。栄える時は一緒に栄え、滅びる時は共に滅んだ。これに比べて、源氏一門は兄が弟を殺し、2代将軍だった男が外戚に殺され、叔父が甥に殺されて滅亡したのだ。なんと陰惨で醜悪な最後か! 「驕れる人も久しからず」は平家よりも、むしろ源氏の方に当てはまるのではないか。
私も年寄りになると、ささやかな庶民の家ではあるが、子供や孫、親戚一同の幸福や安全を気にするようになる。若い頃はそんなことはほとんど考えなかったが、年を取ると自然にそうなる。
だから、一門の滅亡の姿を見る時、平家はまとまって美しく散っていったのに、源氏の方は肉親同士・親類同士が殺し合い、滅亡していったのが実に嘆かわしく悲惨に思えるのである。源氏という家系は呪われていたのではないか。 そう考えると、今や源氏が嫌いになって、それとは対照的に、平家の方が美しく見えてくるのだ。(2010年10月19日)
通りすがりのものです
記事内容に同感です。
私も長じてから平家一門が好きになりました
平家物語でも平家の武将の言動は立派ですよね
清盛は平治の乱のあと頼朝や義経を助けたのに
義朝は義経の赤ん坊まで殺すんですから
なぜ源氏が人気があるのか謎です
やはり勝者のイメージがあるからでしょうか。
でも大河ドラマなどで平家のイメージ清盛のイメージも良くなってきつつあると思います
平家は貴族政治と武家政治の中途半端なイメージがあります。
しかし、源氏は骨肉相食む醜悪で凄惨な最期を遂げたのに対し、平家一門は美しく消えていったと思います。
人間的、美的なイメージから言えば、平家の方がはるかに美しく、神々しく散っていったのではないでしょうか。まるで桜の花のようです。
平家は美しく滅びました。日本人は儚さというものに心惹かれますよね。
しかしながら源氏の骨肉の争いもこの時代のあるべき姿だったのでしょう。
世界の歴史や物語でも骨肉の争いは多かったように思います。
新しい時代を開く時は、それもやむを得ないかもしれません。革命の時は、そういう現象が多々見られます。
しかし、平家は一族がほとんど結束して滅びていきましたね。
今はそういう姿が尊く、はかなくも美しいと私には思えるのです。
国際室にいたとき、「敗者だと自嘲したものです」
国粋主義は第2次大戦で完敗しました。清和源氏も断絶しました。勝者と敗者が入れ替わった感じがします。