矢嶋武弘・Takehiroの部屋

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数の暴力と物理的抵抗

2015年06月28日 12時46分49秒 | 政治・外交・防衛

民主主義は数が多い方が勝つ。だから「多数決」などと言うが、一方で「少数意見の尊重」が言われる。どちらも正しいと思うが、時によると“多数の横暴”という事態にもなる。これを「強行採決」と呼ぶのだろうが、それを阻止するとなると、往々にして物理的な抵抗が必要になる。
昔から国会を見ていると、それの繰り返しのような気がする。幸い、暴力国会とか警官隊導入といった事態はほとんどなくなったが、諸外国ではよく見受けられる光景だ。日本の国会でも、議員の座り込みや物理的抵抗はまだ行なわれている。
民主主義は守らなければならないが、人間はロボットや機械人形ではないから、何でも「多数決」に従えという訳にはいかない。まして、圧倒的多数の憲法学者が“憲法違反”だと言う新安保法案を、与党の多数決で押し切ることなど許されるはずがない。それこそ数の横暴、数の暴力と言えるだろう。
話がやや抽象的になってしまったか。要は、今の新安保法案の成立を阻止するためには、多少の“物理的抵抗”もやむを得ないということだ。それを与党やマスコミが「暴力」だと騒ぎ立てようとも、逆に数の暴力を振るうのは止めろ、と言えばいい。どちらが支持されるかは国民が決めることだ。
卑近な例だが、最近 河原でよく起きる少年のリンチ殺人事件は、加害者側の数人の少年が、たいてい1人の少年をリンチするものだ。多勢に無勢で被害者側の少年は助かる見込みが少ない。しかも加害者側は、3~4人どころか少女も含めて8人ということもあった。
こういう場合、被害者側には命を守るため、当然「正当防衛」が認められる。しかし、悲しいかなたいてい1人のため、理不尽にも殺されてしまうのだ。争いの原因は、双方にそれぞれ言い分があるだろう。しかし、殺されてしまえば何にもならない。最悪だ。
それと似て、憲法違反の疑いが濃い新安保法案については、体を張ってでも阻止しなければならない。物理的抵抗も含めて阻止すべきだ! こんな法案が成立すれば、日本は「戦争」という最悪の事態に巻き込まれる恐れがあるからだ。


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