
妻のどこか歩きたいとの希望で、佐野の唐沢山に出かけた。
ここは関東でも有名な戦国の山城で、藤原秀郷の子孫、佐野氏が築いたといわれる。
規模も大きく、堅固な城だったので上杉謙信の攻撃になんども耐え抜いたと伝えられている。
スタートは山の南側、露垂根(つゆしね)神社の脇の駐車場だ。
歩いたのは、下の写真の赤いルートの通り。
まずは露垂根神社に寄ってみた。
社殿の裏手に彩色の絵があった。どうも竹林の七賢人を画題にしているようだ。
ハイキングコースにはいる。とても歩きやすい道が1.5k続く。
一定の斜度で最後まで急なところはあらわれない。体力のない妻には最適だ。
途中に山城の遺構、堀切が現れた。
別のコースとの合流点のベンチで一休み。
そこからまもなく神社の石積みとのぼり旗が見えてきた。出発から40分ほどだ。
上り詰めたところには唐沢山神社の社務所があり、そこからは関東平野が一望にできた。
遠く富士山がながめられた。
社務所のわきには大きな石がベンチがわりに並べられていた。いい休憩スポットだ。
この神社には猫がたくさんいる。猫に餌をあげないでください、とか、捨て猫禁止、監視員巡回中などという看板を見かけた。神社は迷惑なようだ。
さて、いよいよ本丸跡にある唐沢山神社の本殿へとむかう。
ここは城跡だが、江戸の初期に廃城になったところで、それ以降は神社敷地として保護されていたので大きな木が多い。
本丸の周囲はかなり大規模な石垣になっている。傷んで崩れてきたようで修復工事をやっていた。
これが高石垣。戦国期の山城にしては相当な規模だと思う。
二の丸から本丸下を回り込んで金の丸というところまで行き、そこで休憩。おしるこを温めていただいた。
そしてそのまた一段下の道を城の中心部へともどった。
城の中心部には石垣で丸く囲われた池があった。同じようなものは大田の金山城でもみたが、これがあったので上杉軍の猛攻にも耐えられたのだろう。
ただし、現在は水を外部から注水しているらしかった。
大手側にまわると石垣のくい違い虎口の枡形があった。
この先は駐車場とレストハウスがあって、その脇からは田沼側の展望がながめられた。すぐ下に北関東自動車道が走っている。
レストハウスのすぐ下には足尾神社が足の神様として祀られていて、そこからふたたびハイキングコースに入っていく。12時6分だ。
途中にはやはり堀切があって橋が渡してあった。
少しアップダウンはあるが、下界が眺められるポイントもある。
妻が疲れると思ったので、途中の221mピークはう回路を利用した。
一度舗装の道路に出て案内標識にしたがって左手にすすむと駐車場があった。その奥からハイキングコースが続いていた。
この道も登りの時のようにゆるやかで歩きやすい道だった。
唐沢山が見える。
それほど歩く間もなく下界に到着だ。
山間の静かな農村だ。
1時少し前、出発点にもどってきた。下りも1時間弱だ。この鳥居の奥に駐車場がある。
体力のない人でものんびり歩けて、城跡として見どころもある。こんなコースがもっと近くにあれば散歩に使うのだけどなあ。
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