老頭児おじさん奮闘記

老頭児(ロートル)になっても、何事にも興味を持って行動をしているおじさんの奮闘記。

山陰山陽の旅(第5日目)

2014年09月12日 | 旅行
平成26年9月7日(日)、大山(鳥取県)から島根県へ逆戻りして、足立美術館から見学です。

宿泊した「大山ロイヤルホテル」です。
天気は最高ですね。


足立美術館です。
足立美術館は地元出身の実業家・足立全康(あだちぜんこう、1899年 - 1990年)が1970年(昭和45年)、71歳のときに開館したものである。質量ともに日本一として知られる大観の作品は総数130点にのぼり、足立コレクションの柱となっている。大観のほかにも、竹内栖鳳、橋本関雪、川合玉堂、上村松園ら近代日本画壇の巨匠たちの作品のほか、北大路魯山人、河井寛次郎の陶芸、林義雄、鈴木寿雄らの童画、平櫛田中の木彫なども収蔵している。
足立全康は裸一貫から事業を起こし、一代で大コレクションをつくりあげたが、その絵画収集にかける情熱は並外れたものであったらしく、数々の逸話が残されている。なかでも大観の名作『紅葉』と『雨霽る』(あめはる)を含む「北沢コレクション」を1979年(昭和54年)に入手した際の武勇談は有名である。
足立美術館のもう一つの特色は、その広大な日本庭園である。庭園は「枯山水庭」「白砂青松庭」「苔庭」「池庭」など6つに分かれ、面積5万坪に及ぶ。全康自らが、全国を歩いて庭石や松の木などを捜してきたという。 専属の庭師や美術館スタッフが、毎日手入れや清掃を行っていて「庭園もまた一幅の絵画である」という全康の言葉通り、絵画のように美しい庭園は国内はもとより海外でも評価が高い。 日本庭園における造園技法のひとつである借景の手法が採られ、彼方の山や木々までも取り込んで織り成す造形美は秀逸である。

庭園です。



日本画と庭園を鑑賞しました。

つづいて訪れたのは、松江です。
松江では、二手に分かれての観光となりました。
遊覧船でめぐる堀川巡りと、松江城見学です。
後者の松江城見学に出かけました。

松江城(まつえじょう)は、島根県松江市殿町にある日本の城。別名・千鳥城。天守が現存し、国の重要文化財に指定されている。城跡は国の史跡に指定されている。この他に日本さくら名所100選や都市景観100選に選ばれている。
平山城で江戸時代には松江藩の藩庁として、出雲地方の政治経済の中心となったが、明治時代初頭に廃城令によって存城処分(陸軍省所管)となったため、天守以外の建物はすべて払い下げられ撤去された。城跡は現在、松江城山公園として利用され、また、江戸時代初期建造の天守を有する城跡であり、天守は山陰地方の現存例としては唯一である。天守からは宍道湖を眺望できる。天守内部には松江市街のミニチュア模型が展示されている。

天守閣です。


館内展示の鯱鉾です。


天守閣最上階です。


最上階からの展望です。



偶然、別班の堀川めぐりの舟と遭遇しました。


つづいて、昼食は大根島の由志園です。
ここでは一年中牡丹の花が見られるそうです。


庭園も素晴らしかったですよ。


大根島に架かる橋はダイハツの軽自動車のCMで有名になった別名「ベタ踏み坂」と呼ばれ、観光客が訪れているようです。


次は、「ゲゲゲの鬼太郎」で有名な境港の「水木しげるロード」です。
水木しげるロード(みずきしげるロード)は、日本の鳥取県境港市にある商店街の名称。観光対応型商店街[1]であり、漫画家・水木しげるが描く妖怪の世界観をテーマとした観光名所として日本では[注 1]広く知られている。
境港駅から本町アーケードまでの全長約800メートルの間に、水木の代表作『ゲゲゲの鬼太郎』のキャラクターを中心として日本各地の妖怪たちをモチーフとした銅像など多数のオブジェが設置されており、商店街は、同じ主題、共通のイメージコンセプトをもって思い思いの販売・サービスを展開する各種店舗・施設の集合体に成長している。

水木しげる記念館内部、妖怪たちがお出迎えです。


「砂かけばばあ」と記念撮影です。


宿泊は、「はわい温泉 望湖楼」でした。
湖上の露天風呂が気持ちよかったですよ。


山陰山陽の旅(第4日目)

2014年09月12日 | 旅行
平成26年9月6日(土)、山陰山陽の旅4日目。
津和野に向かいました。

明治維新前には津和野藩亀井氏の城下町であり、山間の小さな盆地に広がる町並みは、「小京都」の代表格として知られているほか、津和野駅はSLやまぐち号の終着駅でもあり、山口市・萩とセットで訪れる観光客が多い。

また、在日米軍基地のある岩国市からも車で訪れることが出来るため、基地職員や米軍兵士などといった外国人観光客も比較的多く見られる。

幕末期以降の廃仏毀釈と、長崎から配流されてきたキリシタンへ、改宗の強要が実施された歴史(浦上四番崩れを参照)があるほか、文豪森鴎外の出生地としてもしられている。

2005年9月25日、隣接していた日原町と合併(新設合併)し、新たに津和野町となった。町役場は合併前の日原町役場に置かれることとなった。

毎年7月末に行われる祇園祭の中で、街中を練り歩く鷺舞は津和野の代名詞であり、国の重要無形民俗文化財に指定されている。

バスからの景観。


津和野駅とSLですよ。


津和野の教会、中は珍しい畳敷きです。


堀の鯉です。
流れがゆるく、観光客が餌を与えるからメタボの鯉です。


国の重要無形民俗文化財に指定されている鷺舞の銅像です。


津和野の後は国道9号線を出雲大社へ向かいました。

出雲大社は、式名称は「いづもおおやしろ」であるが、一般には主に「いづもたいしゃ」と読まれる[1]。二拝四拍手一拝の作法で拝礼する[2]。明治維新に伴う近代社格制度下において唯一「大社」を名乗る神社であった。創建以来、天照大神の子の天穂日命を祖とする出雲国造家が祭祀を担ってきた。現在の宮司は84代国造千家尊祐で、國學院大學を卒業後太宰府天満宮を経て出雲大社禰宜→権宮司と昇格すると、2002年(平成14年)宮司に就任し翌年神社本庁より神職身分特級を拝受している。また、宮司の正服の紋様は神社本庁の定める黒綾文輪なし裏同色平絹ではなく黒綾にご神紋である二重亀甲剣花角の文様を練り込んだものであり他に類を見ない。現在も、皇室の者といえども本殿内までは入れないしきたりを守り続けている。約60年に一度行われている本殿の建て替えに際して、神体が仮殿に遷御された後に、本殿の内部及び大屋根が公開されることがある。

生憎、出雲は雨でした。
雨の中の参拝をなりました。


大注連縄です。
以前は下から硬貨を投げて注連縄に挿していましたが、今は下にネットが張られ硬貨を挿せなくなっていましたよ。


今夜の宿は、大山ロイヤルホテルです。
島根県から鳥取県に向かいます。

山陰山陽の旅(第3日目)

2014年09月12日 | 旅行
平成26年9月5日(金)、山陰山陽の旅3日目です。

先ず訪れたのは秋吉台です。

秋吉台(あきよしだい)は山口県美祢市中・東部に広がる日本最大のカルスト台地である。北東方向に約16km、北西方向に約6kmの広がりを有し、台地上の総面積54km²、石灰岩の分布(沖積面下の潜在部を含む)総面積93km2、台地面の標高180〜420mだそうです。





次に向かったのは、瑠璃光寺です。
 瑠璃光寺(るりこうじ)は、山口県山口市香山町にある曹洞宗の寺院。山号は保寧山、本尊は薬師如来。国宝の五重塔を中心として、境内は香山公園と呼ばれ、桜や梅の名所にもなっている。大内氏全盛期の大内文化を伝える寺院であり、「西の京・山口」を代表する観光名所となっている。香山墓所は「毛利家墓所」のうちの一つとして国の史跡に指定されています。
 室町時代、大内氏25代の大内義弘が現在の場所に香積寺を建立したが、義弘は応永6年(1399年)に応永の乱を起こし足利義満に敗れて戦死する。義弘の弟である26代大内盛見が兄を弔うためここに五重塔の建設を開始したが、盛見自身も九州の少弐氏・大友氏との戦いで永享3年(1431年)に戦死する。五重塔はその後嘉吉2年(1442年)頃に完成したそうです。

瑠璃光寺の五重塔です。


瑠璃光寺の後は、城下町「萩」に向かいました。
 萩城下町の町筋は、碁盤目状に区画されており、中・下級の武家屋敷が軒を連ねています。現在でも町筋はそのまま残されており、当時の景色を楽しむことができます。また、菊屋横町は、白いなまこ壁の美しいこの横町は「日本の道百選」の一つに選ばれています。

豪商・菊屋家の御成門です。


日本の道百選に選ばれた菊屋横町です。



高杉晋作の銅像です。


松下村塾です。
松下村塾(しょうかそんじゅく)は、江戸時代末期(幕末)に長州藩士の吉田松陰が講義した私塾である。長州萩城下の松本村(現在の山口県萩市)に、松陰の叔父である玉木文之進が1842年(天保13年)に設立し、松陰も学んでいます。



萩温泉の宿「雁嶋別荘」からの景色です。


川の向こうは日本海ですよ。