平成26年9が地9日(火)、山陰山陽の旅7日目いよいよ最終日です。
1週間は長いかなと最初は感じていましたが、過ぎてしまえば短く感じます。
さて、最終日の今日は「天橋立」観光です。
途中「あさいち城崎」と言う市場で珍しい烏賊を見ました。
「赤烏賊」と言うそうです。写真の大きいのは10.3Kgあるそうで、値段は12,000円とのことでした。
天橋立(あまのはしだて)は、京都府宮津市の宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔てる砂州である。日本三景の一つです。
天橋立は、宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔て、全長3.6キロメートル及ぶ湾口砂州とされる。形成についての詳細には諸説ある。2万年前に宮津湾が完全陸地化して後、約7~8千年前に氷河期が終わって海面上昇が落ち着くなか当初水中堆積で発達が始まり、縄文時代の後氷期(完新世、約6千年前)に急速に成長し、2~3千年前に地震により大量に流出した土砂により海上に姿をみせ、有史時代に現在の姿にまで成長したとされる 。 砂嘴の幅は20メートルから最長170メートルに達し公路となっている。宮津湾の西側沿岸流により砂礫が海流によって運ばれ、天橋立西側の野田川の流れから成る阿蘇海の海流にぶつかることにより、海中にほぼ真っ直ぐに砂礫が堆積して形成されたとされている。日本では、外洋に面さない湾内の砂州としては唯一のものであり、白砂青松を具現するかのごとく一帯には約8,000本の松林が生え、東側には白い砂浜が広がる。風土記(丹後国風土記逸文)では、伊射奈芸命(いざなぎのみこと)が天に通うために梯子を作って立てたため「天の橋立」といったが、大神が寝ている間に倒れて現在の姿になったとされる。
股覗きをしています。
今夏感じに見えますよ。
見晴らし台からリフトで麓へおります。眼下に天橋立が見えて気持ちの良い景色でした。
天橋立を後に一路、京都へ向かいました。
京都からは新幹線で帰京しました。
総勢14名という、こじんまりとしたツアーで楽しい7日間を過ごしてきました。
1週間は長いかなと最初は感じていましたが、過ぎてしまえば短く感じます。
さて、最終日の今日は「天橋立」観光です。
途中「あさいち城崎」と言う市場で珍しい烏賊を見ました。
「赤烏賊」と言うそうです。写真の大きいのは10.3Kgあるそうで、値段は12,000円とのことでした。
天橋立(あまのはしだて)は、京都府宮津市の宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔てる砂州である。日本三景の一つです。
天橋立は、宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔て、全長3.6キロメートル及ぶ湾口砂州とされる。形成についての詳細には諸説ある。2万年前に宮津湾が完全陸地化して後、約7~8千年前に氷河期が終わって海面上昇が落ち着くなか当初水中堆積で発達が始まり、縄文時代の後氷期(完新世、約6千年前)に急速に成長し、2~3千年前に地震により大量に流出した土砂により海上に姿をみせ、有史時代に現在の姿にまで成長したとされる 。 砂嘴の幅は20メートルから最長170メートルに達し公路となっている。宮津湾の西側沿岸流により砂礫が海流によって運ばれ、天橋立西側の野田川の流れから成る阿蘇海の海流にぶつかることにより、海中にほぼ真っ直ぐに砂礫が堆積して形成されたとされている。日本では、外洋に面さない湾内の砂州としては唯一のものであり、白砂青松を具現するかのごとく一帯には約8,000本の松林が生え、東側には白い砂浜が広がる。風土記(丹後国風土記逸文)では、伊射奈芸命(いざなぎのみこと)が天に通うために梯子を作って立てたため「天の橋立」といったが、大神が寝ている間に倒れて現在の姿になったとされる。
股覗きをしています。
今夏感じに見えますよ。
見晴らし台からリフトで麓へおります。眼下に天橋立が見えて気持ちの良い景色でした。
天橋立を後に一路、京都へ向かいました。
京都からは新幹線で帰京しました。
総勢14名という、こじんまりとしたツアーで楽しい7日間を過ごしてきました。