無知の知

ほたるぶくろの日記

道の確認

2010-10-24 10:22:17 | 日記

昨日は夕方からは寒いくらいでした。昼間出かけるときはちょっとこれでは暑いかも~と思えるくらいだったのですが、持っていってよかった、上着、でした。今年の夏は長かったので、今もまだちょっと暑いとついつい油断してしまいそうです。でも、確実に季節は進んでいて、もう秋なのですね。日が落ちますとすうっと冷えてきます。とくに昨日の夕方は風も冷たく、上着を着るとほっと暖かい感じがしてなんだかうれしくなってしまいました。

このところ折に触れてさまざまな言葉や議論にふと何かを感じることがあります。先日の「一灯照隅 万灯照国」もそうです。時間のあるときに書いていきたいと思っていますが、なかなか出典の明らかにならないものも多いです。

これもそのひとつなのですが、
「どんな境遇の中でも感謝するべきことがあり、自分を大切に生きていくことが大切である」
という趣旨の言葉が中世のキリスト教神学者のことばとして紹介されていたのを耳にしました。宗教改革以前の方の言葉です。まだ出典や正確な文言が見つかりませんので、詳細はそのうちということでお許しください。さて、この言葉に対する反論として、
「それでは今大変劣悪な社会的条件のなかにおかれている方もその境遇に満足し、改革を目指すことはいけないということですか?」
という疑問がなげかけられますと、
「そういうことではなく、自分の長所も短所もふくめて大切な自分であると受け入れて、毎日を努力していくことが現実を生きていく基本である」
という議論であったと思います。

あまりに平明でそうですかと流してしまいそうなことですが、これをすることが何と難しいことか。全ての悩みはここに始まると言ってもいいかもしれない、と思うほどに「自分を受け入れること」ができずに苦しむのが人間のようです。「自分」といいましてもその状況はどんどん変わっていきます。失敗をしてしまったトホホな自分であったり、病を得てボロボロの自分であったりすることもありましょう。それでも、その「自分」はこの世を生きている限り神さまを宿す神社であるのです。この世に生きていることができる、何かを「する」ことができる大きな恩寵を得ています。

さまざまな幻惑に囚われず、たんたんと生きていけるといいな、と思います。