美和町の釜ヶ原神楽団では、「頼政」を創作するとのこと。
頼政は、「鵺(ぬえ)」や「鵺退治」とも言われる演目。俗に言うキメラのような化け物が現れたのを、例によって天皇の命を受けた強い人が倒すという物語。
山代神楽では、向峠神楽、山代白羽神楽が演目としている。
まだまだ特訓中、とのことだけど、共演大会までには仕上げてくるだろう。
楽しみです。
一方、上沼田神楽の「天の岩戸」復活も少しずつながら形になりつつある。
地区の古老からは「衣裳見せ」とも言われている演目。
単調な舞ながらも、8人の舞手が様々な衣裳を身にまとい登場。
前半は思金命(おもいかねのみこと)が、他の神々に天照大御神を誘い出すための指示を出す。
後半は、指示を受けた神々が、それぞれの役目をもって天照大御神を誘い出し、めでたしめでたし、となる。
古くは、この岩戸の前に「天の斑駒(ぶちこま)」という演目があり、馬の道具を使い、須佐之男命が暴れる様を表現していたとか。
そして、その馬をどこかのに忘れて帰って以降、舞われることが無くなっているとか。
・・・取りに行けよ!って思うけど、車もない昔のこと。気が乗らなかったのだろう。。。
今日は天気も持ち直し、残りの稲を刈ることとなった。
とはいえ、朝イチは昨日の雨や夜露が穂に残り、刈ることができない。
と、いうわけで、とりあえずは休耕田に生えている芝を刈ることとなった。
「おじいさんは山へ芝刈りに」の芝。
昔は木か何かと思っていたけど、どうやら草のことらしい。
芝を刈った後、今年の収穫を終えた田の中に入れ、混ぜ込むらしい。肥料みたいなもんか。
↓そびえ立つ芝。
その後、10時30分くらいから稲刈り開始。
僕の従兄弟とその息子も参加。しっかりとお手伝いをしていた。
こうした共同作業が、昔ながらの稲刈りのいいところ。
一緒に汗を流すことで、お米のありがたみを知り、お米をさらにおいしく感じることができるだろう。
午前中に昨日の残りをほとんど刈り、昼からははぜ掛け、といったスケジュールで何とか稲刈りを終えた。
今後2週間程度天日干しして、稲こぎ、籾摺りの作業が待っている・・・。
↓昨日、今日の成果。2反弱の稲を刈り、5畝くらいの芝を刈った。
右側の芝を刈ったところも、その奥も、昔は田を作っていたらしい。
それが今では木が育ち、芝が生えている。
こうして山と里との距離が近くなることで、イノシシとかクマとかが出やすくなっているらしい。
仕方ない状況とはいえ、寂しくはある。
行ってきました、大宰府天満宮!
車で揺られること4時間。
島根県浜田市の佐野神楽社中さん、
広島県尾道市の山波神楽保存会さんと一緒だった。
佐野神楽さんは、ザ・石見神楽!の団体で、迫力かつ完成度の高い舞も見させていただいた。立ち止まる観客の数も多かったように思う。
山波神楽さんは、伊勢神楽の流れを組む団体らしく、
太鼓の調子がうちと似ていたように感じるけど、神楽伝承の一端があるのだろうか?
上沼田神楽にとって中々無い県外公演。
前泊組は白羽神楽との交流会も果たした。
当日は、本殿前での天神地祇を始め、お受けしたプログラムを何とか完遂できた。
丸一日という時間の中で、子ども達(小学生以下5人参加)もしっかり遊べたようだ。
学問の神様の大祭に捧げたとあって、我が子達の将来は安泰だろう。
個人的には、与えられた役のうち、
本殿前清め(天神地祇) →弊を落とす大失態。所作では足下がふらつく場面も。
薙刀舞 →体力不足を露呈。薙刀が途中で止まってしまったり・・・。
黄泉醜女 →ガッサン(カツラ)と面を繋ぐ紐が切れ、後頭部丸出しの状態に。
と散々の内容。
やはり我が子達の将来に不安を感じてきた。
何はともあれ、午後11時頃。無事全員が帰宅。無事が一番です。
荷下ろし組の皆さん、お疲れ様でしたm(_ _)m
ご一緒させていただいた佐野神楽・山波神楽の皆様、そしてスタッフや神職の皆様も、お疲れ様でした!!(大祭の日程はまだ数日続くようです)