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学習の成果はいかに脳を使うかで決まるのです その1

2020年04月20日 | 脳の研究

私は若い頃からといっても、

15歳から独学でジャズの勉強をはじめました。

全く楽譜は読めなかったですが、

本屋で音楽の教本を手に入れて、

フォスター作曲の「峠の我が家」という曲を

一日でなんとか、弾けるようになったのです。

最後まで弾けたときは、あまりの達成感に

心が震えました。

ピアノって楽しいなと思いました。

 

独学で楽譜を弾けるようになっても、ジャズにしても

クラシックにしてもやはりメソッドというのがあるんだろうな

と考えていました。独学で難しい楽譜を弾くのはむりだろうなと

考え、私は思い切って母にピアノを

習いたいと頼みこみました。

 

母は次の日に「中学の音楽の先生で浅間先生という

先生がいるから、これから先生のところに申し込みに行くよ」

と言われました。

あまりに急なことなので、

少し面食らいましたが、心が踊りました。

 

菓子折りを持って、母と一緒に玄関に入ると、

それまで先生が弾いていたピアノの音が止まり

オールバックの温厚そうな先生が

私達を迎えてくれました。

部屋には白いグランドピアノと

アップライトピアノが一台ずつありました。

 

こうして私は週に一回クラシックピアノの

先生のところで、クラシックピアノの基礎から

習い始めるようになりました。

レッスンの初日、あの白いピアノに触れるかと

ちょっと期待しましたが、残念ながらかなり使い込んだ

アップライトの方に誘導されました。

黒いアップライトが生徒のレッスン用のピアノだと

わかりました。少しがっかりしたのを覚えています。

 

一方、ジャズピアノの習得は自分ですることに

しました。レコードを聴いては音をコピーして、

楽譜に作り込んで行きました。

 

そういう方法論は自分で考えたというか、

レコードから流れてくる音を真似して弾くには、

音を聴いて覚えるしかないと思って

五線譜を買ってきて、四苦八苦しながら

採譜をはじめました。

 

私は小学生の頃から、大人のための英語会話

というラジオ講座を毎日欠かさず聴いていました。

音を逃さず聞くという集中力には自信がありました。

とにかく私は、リズムや音があるものは何でも好きです。

 

これは、人にお話すると、呆れられるというか

面白がられるのですが、

学校で先生が黒板になぐり書きしているチョークが

黒板に当たる音が好きでした。実に小気味よく

聞こえてきます。うっとり聞き惚れて、

内容を写す前に消されてしまったことが

何度もありました。(笑)

 

私達が使っている日本語にしても、

外国語の言語にしても、それは記号(音)の流れです。

人間として生まれて親から受け継いでいく

遺伝子も実は記号の繋がりであり、音の流れと

同じようにリニアにつながっている記号の

繋がりのようなものです。

 

ジャズを勉強すればするほどわかるのが

音楽はとてもオーソドックスな音楽的なルールに

従って作られているいうことです。

音楽のルールというのは、つまり言語で言う

文法です。つまり音楽理論が重要なのです。

コード理論という理論をここではあえて説明は

しませんが、英語を作るのに、文法があるように

ジャズやクラシックには一定の和声というか

コード理論というものがあります。

 

それに理論に従って作曲家は音をつないでいきます。

またジャズならばその理論に沿って自由にアドリブを弾きます。

私達は人とのコミュニケーションにおいて、

自分の考えを人にわかってもらうのに、

言葉を使いますが、それは記号の羅列です。

でも、一定の文法的束縛の中で、

ルールに従って言葉を紡いでいきます。

不思議ですね。なんで正しい日本語が

ポンポン口から出てくるんだろう?

 

言葉は厳格な文法がありますが、人と話すとき、

その文法というものは意識しないでも、実に自由に

言葉を生み出すことができます。

流行りのAIもおしゃべりしたり、

人間の喋る言葉を理解したりしますよね。

 

AIは言葉は音素というものに分解でき、

言葉の働きを分解して理解につなげます。

また人間は慣れ親しんだ表現の繋がり、

すなわちコロケーションというものを

自然に作り出す脳をもっています。

これは言語獲得期の赤ちゃんの

一歳前後の脳にはすでに備わっていて、

私達人間はどんな言語でも習得できる可塑性を

すでに持っています。

 

言語や音などの記号の羅列から

何を拾い出すことができるか。

これはもっとも人間にとって大切な知的活動です。

理解する能力とはそういう記号の羅列から

それを作り出した人が表したかったことを

しっかり受け止めることができる能力なのです。

学習するとは、実はそういう営みです。

この営みにおいて、人の表現したものを

受け止めたい気概というものが

必要です。教育とはこの気概を

育てることなのです。

とはいっても、それは

かんたんなことではありません。

 

次回は その気概をもつにはどうすればいいのか

お話します。

 

 

 

 

 

 

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