【親友にはなかなか出会えない】
戦争を経験している血縁者に、こんなことを言われたものだった。
「鳥まりちゃん、お友達を大切にね。
一緒にすごせる時間を良いものにして、幸せな気持ちで別れられるように努力してね。
…。
…。
戦争に、なるかもしれないんだから…」
お、重すぎるぜ…と思う言葉です。
しかしやはり、できれば守りたい教えだなと思うのです。
今日はそんな言葉に通じる思い出のお話。
私の友人(Dくん)、の友人にUくんという男の子がいた。
小柄でニコニコしていて明るく、イケメンではないけれど本当に感じのいい男の子だった。
そのハッピーオーラからは信じられなかったけど、Uくんは大変な苦労人。
早くにお父さんを亡くし、悲しむお母さんと妹をなぐさめていたというUくん。
大人になってブラック職場でよーく耐えて頑張っていた。
彼の職業は看護師だった。
看護師といえばお給料いいはずだけど(だってとってもハードワーク)勤め先が悪すぎたのか朝から晩まで働き徹夜もしょっちゅうさせられながらビックリするほどお給料が低かった。
飲み会の時間帯にUくんと集まることは無理だったので、土日のお昼の喫茶店でお喋りした時に明細見せてもらって、みんなで絶句したことがある。
「ぜったいこれは転職したほうがいいよ」
というアドバイスに
「そうだよね~」
と苦笑いしていた。
そんな低いお給料からも時々小さなプレゼントをくれたりした本当に優しい人だった。
だいたい彼のお給料のほとんどは生活費・家族のための貯金に回されていたらしいのに。
それでもさっぱりとした愚痴しかもらさなかった。
「患者さんの家族に患者さんの悪口きかされるのがキツイ」
これくらいだったな。
それでも親友のDくんには
「俺、こんな給料でさ、全然自分用の貯金作れなくてさ。
普通に結婚したり子ども持ったりできないんじゃないかってしょっちゅう思うよ。
時々悲しくなる。
でも俺しか男いないからさ…」
ともらしていたらしい。
私たちがそれを聞いたのは、Uくんが亡くなってから。
そう、最初の文章からお察しの通り、Uくんは早死にしてしまったのだ。
夜勤明けの帰り道に交通事故にあったそうだ。
小さなお葬式だったので、親友だったDくんだけが呼ばれて出席した。
「あの子、何か言ってませんでしたか」
と泣きながら聞くUくんのお母さんと妹さんにDくんは
「苦しんでました。
でも家族に男は自分しかいないからって言ってました」
と言いたい気持ちを抑えて
「うちの家族は仲が良くて、それが良かったって言ってましたよ」
と話したという。
どっちも本当だけど、一番良い選択をしたと私は思いたい。
みんなで
「それが最善の答えだ」
と話した。
「あいつは天使のような子だったから。
これだけ現世で功徳つんだんだから天国で幸せになってるよ」
「どうせならここで幸せになってほしかったのに」
「もっと早く転職してたら…」
「もう、やめよう」
「ありがとうって気持ちでいるしかないよ」
「あの時が最後だってわかってたら、もっと大事に話したのに」
「全然信じられないんだよ、全然実感ないね」
「受け入れられる時なんてくるのかな…」
戦争時代じゃなくても、時代の荒波に飲まれて、本当にいつ死ぬかわからない。
私たちにとっても
「必ず会える明日」
はぜったいじゃない。
生きてるうちに好きなら好きだと、嬉しいなら嬉しいときちんと伝えなくてはいけないのだ…。
自分を愛する→曲解→自分がいいならなんでもOK→曲解→他人のことなんかどうでもいい。
このムーブメントが一番ひどかった頃(今はだいぶ落ち着いた)私は天使のようなUくんと、親友を亡くして落ち込んでいたDくんの表情をよく思い出した。
愛されるのはやっぱり優しい人だよ。
真心で付き合ってくれる人。
家族でも友達でも恋人でも、本当に大切な人ならきちんと大切に接したいものです。
ずっと書きたかったけどなんか書けなかった話を今日は書いてみました。
戦争を経験している血縁者に、こんなことを言われたものだった。
「鳥まりちゃん、お友達を大切にね。
一緒にすごせる時間を良いものにして、幸せな気持ちで別れられるように努力してね。
…。
…。
戦争に、なるかもしれないんだから…」
お、重すぎるぜ…と思う言葉です。
しかしやはり、できれば守りたい教えだなと思うのです。
今日はそんな言葉に通じる思い出のお話。
私の友人(Dくん)、の友人にUくんという男の子がいた。
小柄でニコニコしていて明るく、イケメンではないけれど本当に感じのいい男の子だった。
そのハッピーオーラからは信じられなかったけど、Uくんは大変な苦労人。
早くにお父さんを亡くし、悲しむお母さんと妹をなぐさめていたというUくん。
大人になってブラック職場でよーく耐えて頑張っていた。
彼の職業は看護師だった。
看護師といえばお給料いいはずだけど(だってとってもハードワーク)勤め先が悪すぎたのか朝から晩まで働き徹夜もしょっちゅうさせられながらビックリするほどお給料が低かった。
飲み会の時間帯にUくんと集まることは無理だったので、土日のお昼の喫茶店でお喋りした時に明細見せてもらって、みんなで絶句したことがある。
「ぜったいこれは転職したほうがいいよ」
というアドバイスに
「そうだよね~」
と苦笑いしていた。
そんな低いお給料からも時々小さなプレゼントをくれたりした本当に優しい人だった。
だいたい彼のお給料のほとんどは生活費・家族のための貯金に回されていたらしいのに。
それでもさっぱりとした愚痴しかもらさなかった。
「患者さんの家族に患者さんの悪口きかされるのがキツイ」
これくらいだったな。
それでも親友のDくんには
「俺、こんな給料でさ、全然自分用の貯金作れなくてさ。
普通に結婚したり子ども持ったりできないんじゃないかってしょっちゅう思うよ。
時々悲しくなる。
でも俺しか男いないからさ…」
ともらしていたらしい。
私たちがそれを聞いたのは、Uくんが亡くなってから。
そう、最初の文章からお察しの通り、Uくんは早死にしてしまったのだ。
夜勤明けの帰り道に交通事故にあったそうだ。
小さなお葬式だったので、親友だったDくんだけが呼ばれて出席した。
「あの子、何か言ってませんでしたか」
と泣きながら聞くUくんのお母さんと妹さんにDくんは
「苦しんでました。
でも家族に男は自分しかいないからって言ってました」
と言いたい気持ちを抑えて
「うちの家族は仲が良くて、それが良かったって言ってましたよ」
と話したという。
どっちも本当だけど、一番良い選択をしたと私は思いたい。
みんなで
「それが最善の答えだ」
と話した。
「あいつは天使のような子だったから。
これだけ現世で功徳つんだんだから天国で幸せになってるよ」
「どうせならここで幸せになってほしかったのに」
「もっと早く転職してたら…」
「もう、やめよう」
「ありがとうって気持ちでいるしかないよ」
「あの時が最後だってわかってたら、もっと大事に話したのに」
「全然信じられないんだよ、全然実感ないね」
「受け入れられる時なんてくるのかな…」
戦争時代じゃなくても、時代の荒波に飲まれて、本当にいつ死ぬかわからない。
私たちにとっても
「必ず会える明日」
はぜったいじゃない。
生きてるうちに好きなら好きだと、嬉しいなら嬉しいときちんと伝えなくてはいけないのだ…。
自分を愛する→曲解→自分がいいならなんでもOK→曲解→他人のことなんかどうでもいい。
このムーブメントが一番ひどかった頃(今はだいぶ落ち着いた)私は天使のようなUくんと、親友を亡くして落ち込んでいたDくんの表情をよく思い出した。
愛されるのはやっぱり優しい人だよ。
真心で付き合ってくれる人。
家族でも友達でも恋人でも、本当に大切な人ならきちんと大切に接したいものです。
ずっと書きたかったけどなんか書けなかった話を今日は書いてみました。