鳥まり、参る!

ご覧いただきありがとうございます。
日々のいろいろなことを記録しています。

毒親と女性性の否定・その3。

2015年12月24日 | シリアス
【毒親じゃない、そこまでじゃない】

はい、なかなか嬉しいリアクションをいただいているこのシリーズ。

クリスマスイヴですが、気にせず続けていきます。

ちなみに今日は奮発して予約した高級クリスマスケーキをいただく予定です

このシリーズのバックナンバーのリンク貼っときますね。
  ↓
※毒親と女性性の否定・その1。

※毒親と女性性の否定・その2。

色々書いてきました。

毒親育ち・女性性を思いっきり否定されて育った方は

「これだ…」

と共感してくださったりします。

が、ほとんどの人は

「ウチはここまでじゃないッス」

と思うはず。

そう、毒親も多いですが、悪意持ったのも多いですが、そうじゃない人もたくさんいるのです。

悪くない両親や過去を、無理やり悪いことにすることはもちろんない。

(というか、心ない“相談に乗る人・癒やす人”に当たると、無理やり

 「毒親だ」

 「重度の共依存だ」

 と洗脳して金ヅルにしようとしさえします。

 洗脳の力ってすっげぇのです。

 参考→

 虚偽記憶(wikipedia)

 『抑圧された記憶の神話―偽りの性的虐待の記憶をめぐって』(amazonの情報ページ)

それはそのまま

「いいお母さん・お父さん」

「幸せな過去」

のままでいいから、

自分が傷ついたことや、現在悩ませるシコリについて向き合っていけばいいと思うのです。

「母(父)なりに、一生懸命愛して良くしてくれた」

ことと

「私が、傷ついた」

「私に、ある習慣をつけるきっかけになった」

ことは全く別問題です。

家族を無理やり悪者にする必要なんかないのです。

【「全部良かったの」というのは逃げだったりする】

これは誰でもそうなのですが、

「全部私のためにしてくれたことだから、私傷ついてません」

「愛ゆえにですから、しょうがないけど感謝してます」

「母(父)も被害者なんです、仕方がなかったんです」

という風に、

無理やり全肯定してしまうのは、逃げだったりします(笑)

「良いこと」

「しょうがない」

「仕方がない」

「私も悪かった」

…美しいですし、ああ、受け入れてもう乗り越えているのかなって思うよね。

でも逃げなのよ。

向き合う、って、ものすごく体力使うもの。

傷が深ければ深いほど、思い出すのも辛い。

だから向き合いたくない。

悟ったふりして、全肯定する。


でも、この状態だと繰り返すんだよね。

私もそうだったけど。

向き合うのは本当に本当にキツイです。

でもこれを超えたら、本当の意味で手放せる。

ちょっとずつだけどさ…。

でも、重荷を下すとそれからは驚くほどスムーズに行くの。

嬉しいくらいに。

だから向き合う価値はあります

「大人になったら、自分の過去や家族のせいにするのはダサい」

こんな風に言う人は多いけど…。

そんなことないよ。

傷ついてる人はここ癒やさないと。

「いい年してみっともないから、言わない」

だと、傷はどんどん化膿していくんじゃないでしょうか。


大人になったら…だなんて、よっぽど家族運に恵まれた人にしか通用しないと思う。

過去に向き合っていいんだよ。

辛くていいんだよ。

怒っていいんだよ。

今と未来のあなたが元気になるためになら。


※対面カウンセリングのページはコチラです。

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毒親と女性性の否定・その2。

2015年12月23日 | シリアス
【お母さんが子どもで、娘がお母さんさせられる例は多い】

周りを見ていると、だいたい母子関係に問題がある(傷ついている)人というのは、

お母さんが未成熟で子どもで、娘が強制的にお母さんの役割を押し付けられている

ことが多いな思います。

「お前なんかなんにもできないくせに!!」

と娘に過干渉、そこまでじゃなければ過保護になっている母親ですが、実は精神的にとっても娘に甘えているんですよね。

なんでもしていいし、ヒステリックに感情ぶつけていいし、気をひくために泣いてみたり、意のままに動かすために不機嫌アピールしたりする。

そういうお母さんと一緒にいると、娘さんは世話を焼かれながらも、精神的に“娘の立場”でいられなくなるのです。

子どもなのに、娘が大人にならなきゃいられないわけですね。

お母さんを庇う人はだいたいコレ。

「母も苦労したんです」

「悪気はないんです」

とかばう。

そこには

「私が物分りよければ、お母さんを責めなくていい」

「私が大人になれば、問題にならない」


というあきらめっていうか自己犠牲精神があるように思います。

子どもは保護者なしには生きていけないので、生きるためには仕方ないことな気もする。

【未熟なお母さんは、女性性にアレルギー反応している?!】

よくある母親から娘への虐待で、

「ブラジャーを買ってくれない」

「生理用ナプキンを買ってくれない」

「おしゃれするのを断固拒否」

というものがあります。

最後のやつで、私が今まで聞いた中で一番ひいたのは、

・娘に一切の脱毛をさせない→だから眉毛も腕もワキもマングローブ状態

・日焼け止め以外のコスメをスキンケア含め一切使わせない→おかげで毛穴という毛穴がひらいて脂ギトギト…

・美容室に行かせない→母親が切るので、めちゃくちゃ変な腰までロング

・服も下着も、自分で買ったことが一度もない→変な母親セレクトの服…

という

「うわぁあああ~~~!!!

なものでした

そんな娘さんは、出会い系アプリで見知らぬ男と1回だけ〇り捨てされるのを繰り返しているそうです…でも自分では

「元彼は100人

って思っているんだって。

お~い

どの例からもなんとなく感じるのは、

「お母さんが、“女の子”(幼女ではない)“女性”というものにとんでもなく嫌悪感を覚えているんだな」

ということ。

生理が始まる前の男女というのは、それぞれ特徴はあれどとっても中性的で“子ども”っていう生き物な感じ。

でも、やがて幼女は体つきも成長して生理も始まって“女の子”になり、成熟を重ねて“女性”になる。

それって女性として健康に生きているってことで、本来はとても喜ばしいこと。

なのにそれを許さないのは、これを悪いことだって決めてかかってるような。

(無意識か、自覚してんのかは知らんけど)

娘にやるってことは、自分の女性性もすごく否定しているんだよね。

だからこういう女性は多くが、中年以降になっても幼児園児みたいだったり、逆に男みたいになったりする。

女性として健康的に幸せに成熟している母親が娘を苦しめてる例は見たことがないです。

今のところですけど。

だいたいやりすぎたり、男っぽくなったり、子どもっぽかったり、不自然

(このことは日本が戦後継承し続けてる歪んだ家父長社会システムが大きく関わってることでもあるので、くわしく知りたい方はこの本読むといいかもしれません。
  ↓
 ※『上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください!』上野千鶴子・田房永子 著 )

【娘に女性性の否定が受け継がれるパターン】

この女性性の否定が娘に受け継がれてしまうパターンでありがちなのはふたつ。

ひとつは、母親を見て

「女って嫌だなぁ…」

と嫌悪して、自分の女性性も嫌がるようになるパターン。


もうひとつは、母親の

「女になるな!!」

というメッセージを素直に受け入れてしまって

「女は良くないことなんだ」

と学習してしまうパターン。


一番多いのは複合型だと思いますが…。

「女性になることは、お母さんへの裏切りだ」

と思い込んでしまうことも。

【「女って嫌だなぁ」「女は辛いことばっかり」って思ってると本当にそうなる】

人の無意識…わからない人は

「心の中で喋ってる言葉」

と受け止めてください。

無意識というのはとっても恐ろしくて、無意識は現実に必ず影響するものです。

“引き寄せの法則”とか“鏡の法則”とか“自分原因説”とかいろんな言葉に変えて作家さんが使ったり、スピリチュアル商法に利用されてきたりしていますが、古来からいわれる“因果律”ってやつ

「女って嫌だな」

「女は辛いことばっかりだ」

「女でいたくない」

と思ってると、その通りになりやすいのです…。

キャ~

何事も結びつけて考えてしまうと、不幸の種を現実から拾い上げるようになる。

そうするとその通りになってしまう。

「女である自分が嫌」

という話、いつも高校時代のとある女の子を思い出します。

毎日毎日痴漢されていて、学校のあらゆるタダ働きを一身に引き受け、ストレスと疲労でいつも頭がおかしくなっていた。

そりゃそうなるよねと今なら思うけど。

この女の子は

「男の子が欲しかったのに、女の子なんかいらないのに」

とお母さんにいじめられていました。


本当にイジメだよ。

だって弟は生まれているんだもん。

「女の子なんかに生まれて!」

っていじめれば、彼女が泣いて嫌がるからわざと言うの。

嫌な話だけど、こういうとんでもない親って実在するんだよ。

この家ではお母さんとおばあちゃんがタッグ組んで彼女をいじめていたそうだから、先祖代々こうやっていじめてるんだと思う。

「一番若い性別女を女同士でいじめる」

というスタイルを。

「女、女」

っていうけど女だけでは子孫ができませんから、もとを辿れば男女関係の不和やトラブルがあるはずで、

「女だけのせい」

ではないはずなのだ。

だけど男(おじいちゃん・お父さん)は彼女へのやまない加害が存在している家庭で

「存在していない」

かのように扱われる。

きっと意識的に男たちも逃げている。

これが恐ろしい。

…というところまで考えができる余裕はもちろん被害者たる彼女にはなくて、

「女の子に生まれちゃったから、ダメなんだ。

 女の子でいるのは辛い」

という思いがだだ漏れていた。

毎日痴漢されるという悪夢のような現実さえ変わらない。

家族が、学校が、社会が

「加害行為なんてない」

と一番弱い立場の彼女を黙らせる。

つらい…。

風の噂では彼女は電車嫌いになって、会社に歩いていけるマンションに住むようになったらしい。

でも、今度は何度部署移動させてもらっても必ずセクハラする人が会社に出現するんだって。

辛すぎるよね。

私は

「彼女が悪い」

なんてぜったいに言いたくない。

ぜったいにぜったいに加害行為をするおばあちゃん・お母さん、見て見ぬふりして加害行為を継続させるおじいちゃん・お父さん(あと子どもだけど弟も)が悪い。

痴漢やセクハラをゆるす社会が間違ってる。

だけど、まずは彼女が

「ぜったい嫌だ!!!」

って思わないかぎり彼女の世界は変わらないんだよ。

無抵抗な者を残念ながら踏みにじる地獄が彼女の現実なのだから、黙ってて相手が変わることは辛いけれどない。

だから

「セクハラゆるさん!」

ってまずは決めて助けを求めないといけないんだよね。

辛いけれど…。

【日本は健全な女性性が育ちにくいのか?と思ったりする】

この国って健全な女性性が育ちにくい風土なのか?

と感じたりする。

女性性に関して私が

「象徴的だな~…」

といっつも思うのが、女性スポーツ選手。

とある競技は、美しい選手が多いことで世界的に有名でね。

競技中(オリンピックとか)の外国の選手は、長い髪をポニーテールにしたりアレンジしたり、アクセサリーも小さめのものをつけて、汗かいても大丈夫な程度のメイクをして自分を着飾ってる。

またそれが、凜としたカッコよさがあってステキなのよ…

そういう選手が、金メダルとったり世界女王になったりしていて、国の人気者らしい。

で、日本の選手はどうかっていうと…今はだいぶ変わったかもしれないけど、ちょっと前まで

・スポーツ刈りのような短髪

 (髪が重いとかひっかかるとかで、強制的に切らせられる)

・アクセサリーは一切禁止

・メイクも一切禁止(だから日焼けジミがひどい)

が、スタンダードだった。

でも入賞すらできない。

すっごい私、こういうのから

「女はダメだ、劣等だ、男になれ」

って刷り込みを感じるんだよね。


去勢されたみたいな外見に見えるから。

私は常々、メイクもファッションもやりたい人がやればいいんであって、やりたくない人はしなくていいと言ってますけど、

やりたくない、の根っこに女性性の否定があるなら苦しいだとうなと思います。

だって、女の体と心で生まれているなら、それは

「私は私が憎くて嫌いだ」

と思っていることだから。


「すっぴんで、適当な服着てる私が大好き

なら、すっぴんジャージでも素敵なオーラが出ます。

人とはそういうものです。

日本だと“セクシー”も“女らしさ”も、嫌うか、社会的強者がむさぼるためのもの、なんだもん。

「私が幸せ」

なそれが少ない!


…と思う。

だから女性として成熟するのが息苦しくなりやすいのかな~って。

私は、

「自分のことは考えずに、他人のためだけに生きる」

「自己犠牲が美しく素晴らしい」

「無私の心が絶対的にいい」

という考えに賛同できないんですよ

結局、なりきれなくてどこかで破たんしてしまうことが、あまりに多いから。

私は

「自分が幸せになれば、その幸せが周りに溢れだす」

「自分がまず自分を大切にしていれば、その大切オーラが周りにも伝わって大切にされる確率が上がる」


(ただし、自分だけが好き勝手やって快楽をむさぼればいい、って意味ではない。

 まずは自分を守って幸せにしようよってこと)

と思ってるのでね。

「自分を愛する」

って言葉にキーッとなる人たちは

「自分を愛する=他者を侵害して自分の養分にする」

って思っている気がする。

それはきちんとした自分への愛ではないよ~。

ともあれ、まず自分を大切にするのが第一段階。

これを抜かして人のためになることができる人を私は見たことがない(笑)。

「自分だけが、他者の命や心を侵害しながら快楽をむさぼる」のも「自分のことだけはぜったいに大切にしないで粗末に扱う」も正しい中庸の道ではないでしょうよ。

自分のひずみってもれなく次の世代に持ち越されるからね。

幸せを願うなら自分から始めるしかないと、私は考えています。

それには、女性なら女性性…っていうか

「自分では変えられないもの」

を嫌いすぎない方がいい。

ただ、そうである。

そんな落ち着いた心で受け止めればいいんじゃないかな。




※毒親問題について書いた、その1はコチラです。

※対面カウンセリングのページはコチラです。

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毒親と女性性の否定・その1。

2015年12月21日 | シリアス
【お会いできて本当に嬉しかったです♪】

この前の土日は、偶然両方ともこのブログ経由で来てくださったお客様との対面カウンセリングでした。

前にも書きましたが、本当に皆さま美しい

清楚で可愛らしいんですよね

お話が聞けて、とても嬉しく幸せな時間でございました。

【ここ経由の共通点】

このブログ経由で来てくださった方のお悩みは、不思議と似通っています。

大きく言うと

・家族との確執で葛藤している

 (毒親問題含む)

・ご自分の女性性を受け入れられない

・あるいは、その両方


です。

最初は

「彼氏欲しいんでアドバイスくださーい!」

「旦那さんに〇〇しちゃうので、直したいんです」

「ブログ好きだし、お金は余ってるんで遊びにきました」←優雅だな

などなど全然違うことでいらっしゃてもね…。

不思議とこれらに集約されていくのです。

それだけ、苦しんでいる方がこの国には多いということでしょう。

【ありきたりの一般論に苦しんでいる人たち】

ここからはお客さまではない人との話を例に出しています。

毒親の話を私にカミングアウトしてくれた方がいらっしゃいました。

本当に壮絶で、話すご本人も思い出して苦しそうだった。

それを聞いて私が

「それは、本当に苦労されましたね」

「ひどいね~」

と言うと

「えっ、苦労した、ひどいって、言ってもいいの?」

とすごく驚いた表情でいって、

「そうだよね、これってひどいし、頭おかしいよね?!」

と、腑に落ちるのでした。

いかに、こういう問題で悩んでいる人が世間(って何よね。知恵袋とか?)から

「親不孝者」

「子どもは何があってもお母さん(お父さん)が大好き」

「ぜったいに家族を捨てちゃいけない」


などとわけわからん一般論強要されているかってことがわかる。

10代の子が

「大嫌いだけど、介護しなくちゃいけないんですよね」

なんて語るんだもん。

無責任で幼稚で残酷ですね。

親子だろうが兄弟だろうが恋人だろうが権力者だろうが、人が人を奴隷にしていいわけがないだろうに。

【「ゆるしなさい」系のアドバイスはバカ】

毒親はじめ家族の葛藤に苦しんでいる人が最も恐れるのが

「許しなさい」系のクソバイスです。

「鳥まりちゃんが、許しなさいって言う人じゃなくて本当に本当に良かった」

ってポロポロ泣かれたことあるけどさ~。

そんなの当たり前だよ!!

ギリギリで苦しんでいる人に

「ゆるしなさい」

だなんてバカだよね。

ボロボロになった心に寄り添いも癒しもせずにただ

「ゆるしなさい」

「毒親の気持ちをわかってやりなさい」

だなんて

鳥まりは大っ嫌いですね

ゆるす・ゆるさないは本人の自由です。

悲しんで、怒って、出し尽くして、その後で万一本人がゆるしたいならゆるせばいい。

一生ゆるさなくたっていいんだよ、その人の人生なんだから。

外野がどうこういうことないと思います。

【「ゆるします」って言って実際できてない人はたくさんいる】

偉そうに

「私はゆるしました」

って言って回ってる人っていますよね。

でもだいたいこういう人は出来てないですよ。

例えば、親に虐待され、夫にDVされた(夫はすでに死去)という壮絶な過去を持つ奥様がいらっしゃいました。

彼女は

「親にも夫にもそうせざるを得ない事情があったんです。

 ワタクシは少しも恨んでおりませんわ。

 ゆるせるかって?

 最初からゆるしていますもの」

とエレガントに語って回っていた。

でも実際彼女は恨んでいるしゆるしてないのです。

本人(親・夫)にぶつけない代わりに、息子たちの嫁全員をいびってましたからね。


なにが

「恨んでない」

「ゆるす」

なんだか。

自分より強くて怖い相手には耐えて、うっぷんを弱者にぶつけてるだけじゃないの。

このように、言ってることとやってることが違う人はたくさんいるのです。

【悲しんでいい、怒っていい、逃げていい、捨てていい】

私は、その人の人生において一番大切なのはご本人だと思っています。

だから、しんどいなら

「悲しんでいい」

「怒っていい」

「逃げていい」

「なんなら捨てたっていい」


と思っています。

テレビで毒親問題やっていた時視聴者の人が

「愛しているのにひどい」

みたいな投稿していたけれどね。

寒かったね~。

その言葉を言った方は、優しく健全な家族愛しか知らないのかもしれませんが

昔、自分に惚れた女の子達からストーカーしたり迷惑行為されまくっていたイケメンがいまして、彼は

「愛されたら、なんでも受け入れなきゃいけないのか?!」

と大爆発していました。

ね。

しかし私は一歩違った視点で言いたい。

「愛してるって言うけど、それ愛じゃないから」

と。

気持ちの中のいくつかは愛かもしれない。

でも、いくつかは違うでしょ?

執着、強要、愛されたい欲、必要とされたい欲、保護欲…そういうのだと思うよ。

私の経験上

本当の愛じゃない人ほど偉そうに愛を語って免罪符にする

と思っています。

殴るのが愛か?

経済力のない女の子にブラジャーや生理用ナプキンを買い与えないのが愛か?

自分の恋人の欲望のために幼い娘を差し出すのが愛か?

自分の子どもをレ〇〇するのが愛か?

この世には想像もできない恐ろしいことなんていっぱいあるのよ…

もちろん、より多くの問題は

「密やかに、やりすぎないように、巧妙に行われる」

のだけどね。

とあるタレントさんのお母さんが、立派に一人暮らしして生活をする娘をみて

「私がいなければ何にも出来ない子に育てたはずなのに、ひどい!!」

と泣いて困らせていたけど、あれも一種の虐待であり執着。

密やかな、誰もそうは気付かないもの。

熱く語りすぎてすみません。

次回は

「女性性の否定」

について思うところを書きます。

※対面カウンセリングのページはコチラです。

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面長さんのお手本は、水川あさみさん!

2015年12月18日 | 女磨き
【美女芸能人は学びの宝庫!】

自分と同じ顔型の美女芸能人さんは、素晴らしいお手本になります

鳥まりはブスでデブですが、記号としての美を取り入れるために美女芸能人さんで学んでいますよ。

“美人風”には努力次第でなれるし、美人認定受けたらその人には美人扱いしてもらえるから色々楽ちん

美人認定っていうのはつまり

“なめられない、礼儀正しく接してもらえる”

ということですね。

男性だったら“イケメン認定”“稼いでる人認定”かもしれない。

いや、女性であってもこの2種か?

日本には

「一髪、二化粧、三衣装」

(※ことわざ辞典)

という言葉があるくらい、髪を整えることは大切。

個人的には順番に疑問があるが、まあそうなんでしょう、先人がおっしゃるからには。

そういうわけなので、

たくさんのプロが集結して美しくしている美女芸能人さんは学びの宝庫なんです。

特に、自分と顔型が同じ人ね

私は自分が面長なのに、自分の好みな丸顔さん・卵型さんの真似ばっかしてきた。

やっぱり、違う顔型の真似するとあんまりひきたたないんですよね。

「好きだからいいの~

って思えればいいんだけど、そこまでまだいけない。

【というわけで、自信がない面長さんは面長さんの真似しよう!】

というわけで、面長さんがお手本にするべきは面長美人のタレントさん。

私は水川あさみさんが大変好みなので(笑)彼女がお手本にとてもオススメ!

画像ぺたぺた貼ります


  ↑
とっても素敵なストレートロングスタイル

前髪はやっぱり必須みたい。


  ↑
巻くとふわっとしていいですね!

これくらいの長さなら斜め前髪もいけるのか


  ↑
ふわふわショートボブ。

フェミニンだわ~。


  ↑
片方だけ耳にかけるアシンメトリーショートボブ。

おしゃれで健康的なお色気がある気がします

ぜひ、ご参考に

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究極の天然美女はソフィア・ローレンかもしれない。

2015年12月16日 | 言いたい放題
【これで整形一切無し!?】

イタリアの名女優(俳優よりこっちの方が素敵に感じる)である、ソフィア・ローレンさん。

今年なんと81才。

鳥まり、彼女の独特の美がすごく好き。


 ↑
媚びないけれど優しい、独特のオーラなんですよ~

やっぱり彼女の出ている映画だと『ひまわり』が切なくてステキかな。

当時敗戦国だったイタリア。

素晴らしい深い作品をたくさん作っています。

ソフィアさんの出演映画は、彼女の妥協しない演技が光ります。

(ほぼすっぴん、汚れ役、色々ある。

 日本の女優さんてなかなかこういうこと出来ないよね)

婦人画報だかなんだか忘れたが、日本の雑誌インタビューでソフィアさん

「私は一切整形をしていません。

 そのような不自然なものには手を出さないと決めています」

と語ったそうです。

本当だったら驚異的な美しさ!!


  ↑
爆乳(巨乳じゃきかない)・ほそ~いウエスト・そして美脚。

この抜群のスタイルと張り合えるのは峰不二子くらいなのでは…

ちなみに70すぎてもこの外見です。

ウエストも細いまま
  ↓


究極の天然美女かもしれない…。

【ソフィア・ローレンとはいかなくとも】

ソフィアさんのお母様はかつて女優志望で、正統派美人だったのだそうです。

戦争ともろかぶってしまったので夢叶わずでしたが、ハリウッドから声がかかったくらいだとか。

美しいお母様を見て育った彼女は、

「私は美貌では勝負しない」

と決めて努力してきたとか。

こ、この美しさで…??

信じられませんが、彼女の

「自分はこれでいい」

という肯定力は見習いたいものですね。

整形しないってことは、天然の自分に全面的にOKを出すこと。

それあってこその、あの独特の美とオーラなんだろうなって思います。

そもそも、みんな天然でステキだと私は思うのよ。

美人じゃなくても小顔じゃなくても、その人独特の魅力を全肯定すれば誰もが素敵で美しい。


豊胸・目の切開などよくある手術。

見慣れるとかなり気付くようになります。

何年か前、

「かわいくてステキ~

と思っていたモデルさんがテレビ進出と共に一気に、二重手術と豊胸をしたことに気付いたことがありました。

「元のままですごくかわいかったのに…」

と悲しかった。

まるで天然の彼女はダメだというような大改造だったよ。

そりゃ、元が美しいから整形しても綺麗なんだけどさ~

【気持ちが違えば全てが違ってくる】

ちょっと話違うかもしれないが、人間の指って5本ですよね。

ですが、たまに6本の赤ちゃんって産まれるんですよ。

(手術で簡単に治せるらしい)

たまにっていうか、しょっちゅう??

どこかの国ではそのような子は

「神さまの子どもだ

といって街全体で大切にするんだって。

でも日本だとね、こういう赤ちゃんを産んだお母さんが、悲観して赤ちゃん巻き込んで自殺したりするらしいです。

昔旅行した時も、そういう女性が赤ちゃんとここで死んだんだって地元の人に教えられた。

(なんであんなこと教えたんだろうね)

「ダメだ」

とか

「どうしよう」

って悲観すると、悲観しなきゃならない未来しか待っていないんだなって思ってしまいました

【お母さんの肯定力はすごい】

ソフィアさんのお母様。

自伝ドラマを観ましたが、とても情熱的な方で一歩間違うと共依存になっていたろうな~と思うような方でした。

でもソフィアさんが意識的に自立したため、とても良好な関係を築いていたようです。

彼女の女優としての成功はお母様無しに有り得なかった…メッセージでバシバシ伝わってきた

お母さまの立派なところはたくさんありますが、

一貫して

「あなたは素晴らしい!」

と言い聞かせていたのが素晴らしいと思いました。


「あなたは綺麗」

「あなたは必ず成功する」

「あなたが選ばれないのなら、相手に見る目がないだけであなたは素晴らしい」

って

大事だなと思ったのが、人前でもしっかり肯定すること。

まだ女優としての仕事が少なかったソフィアさんと、マネージャー的なサポートをするお母様に

「お前たち、体で稼いでるんじゃないの?」

と心ないことを言われたことがあって、

(実際はそんなことしてないし、すごい節約生活だったんだって)

その時お母様は

「仕事ならありますよ。

 うちの娘はこの器量ですからね、どの監督も使いたがるんです」

とキッパリ言い返したそう。

嬉しかったんだろうな~って、すごく胸が熱くなるいいシーンだったな

ソフィアさんが天然美女でいられるのは、お母様が肯定して自尊心をつぶさずにいてくれたからなのかもしれません。

親の影響力ってやっぱりすごいなと思う。

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