小泉首相の「忘れる事の出来ない1年でした」というコメントが新聞に掲載されていましたが、私も同じ気持ちです。
中学の2年生の時から親の跡を継ごうと思い、大学を4年で中退した22歳から稲毛屋に入り、親父が亡くなった昭和56年、31歳から代表取締役を務めていました。今年、その稲毛屋の役職を降り、まったく経験の無い議員に、それも代議士といわれる衆議院議員に選んでいただいたのですから、平成17年、2005年は決して忘れる事が出来ない年です。
「生活が大きく変わりましたね」とよく言われます。その通りです、大きく変わりました。でも良い方に変わったと思いますので、この変化を大事にしていきたいと思っております。
選挙直後「小泉自民党が勝ちすぎたからこんな奴らまで議員になってしまった」と揶揄するような報道が多かったのですが、この年末のテレビ局の特別番組を見ていると、いつもの年よりも政治関連の番組が多いように思えます。この総選挙の結果から、間違いなく政治が近くに感じるようになったと思います。
年金の問題にしても、天下りの問題にしても、もちろん耐震強度偽装の問題にしても、新人だから出来る活動と考え方を国政の場に反映させてこそ、小泉自民党の風で出てきた衆議院新人議員の存在価値だと思っていますし、大きく、そして良い方向に変わった私の人生を大事にする「具体的」な活動だと思います。
私は勝手連を通じて自分の考え、思いを皆さんに聞いていただき、皆さんの御意見を国政に反映していきます、どうかお力添え下さい。
中学の2年生の時から親の跡を継ごうと思い、大学を4年で中退した22歳から稲毛屋に入り、親父が亡くなった昭和56年、31歳から代表取締役を務めていました。今年、その稲毛屋の役職を降り、まったく経験の無い議員に、それも代議士といわれる衆議院議員に選んでいただいたのですから、平成17年、2005年は決して忘れる事が出来ない年です。
「生活が大きく変わりましたね」とよく言われます。その通りです、大きく変わりました。でも良い方に変わったと思いますので、この変化を大事にしていきたいと思っております。
選挙直後「小泉自民党が勝ちすぎたからこんな奴らまで議員になってしまった」と揶揄するような報道が多かったのですが、この年末のテレビ局の特別番組を見ていると、いつもの年よりも政治関連の番組が多いように思えます。この総選挙の結果から、間違いなく政治が近くに感じるようになったと思います。
年金の問題にしても、天下りの問題にしても、もちろん耐震強度偽装の問題にしても、新人だから出来る活動と考え方を国政の場に反映させてこそ、小泉自民党の風で出てきた衆議院新人議員の存在価値だと思っていますし、大きく、そして良い方向に変わった私の人生を大事にする「具体的」な活動だと思います。
私は勝手連を通じて自分の考え、思いを皆さんに聞いていただき、皆さんの御意見を国政に反映していきます、どうかお力添え下さい。