ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

ルネ・クレール・9〜『リラの門』

2017年11月08日 | 1950年代映画(外国)
『リラの門』(ルネ・クレール監督、1957年)を観た。

仕事もせず、なじみのビストロで酒に溺れる中年男ジュジュは、友人の“芸術家”の家に逃げ込んだ、警官殺しの逃亡犯ピエロ・バルビエをかくまることになる。
無為の日々を送っていたジュジュにとって、ピエロの世話を焼くことが新たな目的となる。
逃亡の機会をうかがいつつ、“芸術家”の家に潜伏するピエロは、ジュジュがひそかに惚れているマリアにみつかってしまい、彼女を誘惑する。
マリアはピエロに夢中になり、彼と共に逃亡しようとするのだが・・・
(DVDのパッケージ裏より)

舞台は、パリ北東部の下町「ポルト・デ・リラ」。
酒飲みだが、お人好しで人情家のジュジュ。
それと、ギターの弾き語りの“芸術家”のコンビ。

ジュジュは相手が凶悪犯でも、“芸術家”の家の地下室に匿いながら、甲斐甲斐しく食べさせ逃亡計画を手伝おうとする。
“芸術家”はちょっと迷惑な感じで、やっぱり早くこの家から逃亡して行ってほしいと思う。
そんな二人が一致していることは、犯人を警察に突き出す気はないこと。
その辺りがまさしく、人情物語での低音主題といったところか。

そこにビストロの娘マリアが絡んでくる。
ジュジュは金持ちになったら、マリアを南仏に連れて行こうと夢みている。
マリアも「行きたいな」と、素直にそこへ行くことに憧れている。
恋人というわけではないが、中年の男と若い女の、信頼し合っている貧しいもの同士の間柄にほろりとさせられる。
特に、マリア役の“ダニー・カレル”が、下町の娘の雰囲気を余すところ表していて、ジュジュの思いがすんなりと納得できる。

そのマリアを騙しながら、ひとり南米へ逃亡を図ろうとするピエロ。
だからラストの、ピエロが彼女を玩んでいただけと分かった時の、ジュジュのピエロに対する怒りが痛いほどよくわかる。
だが、マリアにとっては深い傷を負うだろうでは済まされない、残酷さが痛々しい。
そして、ジュジュにしても。

私にとってこの映画は、十代の頃に観た中でも印象が特に鮮明なままの作品である。
最初に目に浮かぶのが、最初と最後の“老夫婦が荷車を引いて画面を横切る”箇所の何気ないシーン。
そんなこともあって、観ているルネ・クレールの内では、この『リラの門』がベスト・ワンの作品と思っている。
それを久し振りに観たので、懐かしさと感慨、そして新たな感動でいっぱいである。

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2 コメント

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>rumichanさんへ (ツカヤス)
2018-03-27 20:36:28
連続して5作品のコメント、ありがとうございます。
頂いたコメントの個々の返事は書きませんが、やはり何らかのメッセージは、今後の励みになります。
実は、「黄金の馬車」の記事を書く段階でパソコンが故障してしまい、買い替えてやっと書こうとしても、印象が希薄状態になってしまいました。
再度、見直してということになります。
返信する
人の死 (rumichan)
2018-03-27 03:19:02
『マリアにとっては深い傷を負うだろうでは済まされない、残酷さが痛々しい。』

多数のルネ・クレールの作品をご覧になっているので、おわかりになると思いますが、彼は『人の死』が意味を持つ作品を全く撮っていません.
なぜなのか?.
それは、あなたの書かれた通りだと思います.
ジュジュは、警察に捕まれば死刑になって当然のピエロを撃ち殺した.
好きな女を恋愛感情で騙して、金を奪おうとしたやつ.
殺されて当然の奴を殺したのだけど、けれども誰かが喜ぶどころか、好きな女に、消え去ることのない深い傷を負わせただけだった.
ジュジュはマリアの幸せを願ったはず.だからピエロを撃ち殺してしまったのだけど.
人を殺して、何も良いことはない.それは映画の中でも同じである.

追記
『そして誰も居なくなった』で、ルネ・クレールは人が沢山死ぬ映画は撮っています.
この映画で、まとめて殺して、他の作品『奥様は魔女』は、
ビルを派手に燃やしてしまったけれど、
『不思議なことに誰も死者は居ません』と、アナウンサーが現場から実況する.
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