それである晩、長い間ためらって長文の手紙を彼女に書いた。くちばしの黄色い若僧が現実を慨嘆し人生を云々したので、彼女が読んでどんなに呆れたことだろうか。<o:p></o:p>
木蓮が咲いて散り、朝鮮レンギョウとから紫つつじが咲いて散り、黒船つつじとさつきが咲いて散った。でも桜が粉雪のように舞い散る頃になっても彼女からは返事が来なかった。僕の手紙が配達されなかったのか、引っ越したのか、あるいは健康に何か異常でも?・・・こんな気持ちは誰でも経験したはずだから、これ以上長く触れる必要がないだろう。<o:p></o:p>
5月中旬ごろ、やきもきしながら待っていた返事をもらった。返事をもらった時の嬉しさは旧態依然とした記述になるはずだから、飛ばそう。学校をやめてソウルの実家で数か月休んでから、彼女は春川にある私立中学校の教師になったと書いてきた。そして地方の受験生がソウルに進学できなくなった入試制度についてとても残念がった。でも、その初めての手紙から僕の人生の方向性を作り出す2つの言葉を受け取った。「春川」という地名と「春川高校」という校名だった。僕はそれを一種の指令として受け取り、それ以外のすべての可能性を無視した。死か、あるいは生か。僕には他の選択も考慮することができなかった。決められた地名、決められた校名をミッションとして完遂してこそ再び彼女に会えるということをはっきりと気付いたからだ。<o:p></o:p>
当時、ソウル進学の道が断たれた後、嶺東地方でちょっとできる子供はみな江陵高校を目標に入試準備をしていた。学校でも進学相談を通して江陵高校への進学を強く進めていた。でも、彼女の手紙を読んだ次の日から僕の周りは突然揺れ始めた。江陵高校ではなく、春川高校に進学すると僕が爆弾宣言をしてしまったからだ。<o:p></o:p>
性根の悪い担任は特別クラスの学級委員で生徒会長の僕が春川高校に行く場合、他の生徒に与える影響を考えたのか、完全に頭のおかしくなってしまった奴として僕を扱った。そうして夜遅くまで学校に拘束して、一体全体春川へ行こうという理由は何だと、時には脅したり時にはすかしたりといった、ばかばかしいシチュエーションを演出した。でも、笑ってしまう話だが、僕は眉一つ動かさずに春川高校でなければ高校進学をしないと頑張った。結局父まで学校に呼び出されたが、幸運なことに父は僕の判断を聞いてくれた。担任の執拗な説得と押し付けに密かに怒りが込み上げて、「息子が春川高校に進学するといけない法律でもあるんですか。」と簡単にやり返したと僕に告げた。<o:p></o:p>
結局、僕は教師たちからの露骨な冷やかしと憎悪を受けながら1年を過ごした。田舎の子が。春川高校がどんなに難しいところか、そこにでしゃばって行こうというのか。お前がそこに行って落ちたら恥ずかしいし、滑り止め高校にどんな顔して通うつもりかい。苦しい時間を耐えるときに一番大きな励ましと慰めになったのは、もちろん彼女の手紙だった。鼻血が出て死ぬほど勉強し、彼女から来る手紙を唯一の心の慰めとした。<o:p></o:p>