『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

読書感想215  義経

2017-07-05 01:12:27 | 小説(日本)

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読書感想215  義経

著者      司馬遼太郎

生没年     1923年~1996年

出身地     大阪府大阪市

出版年     1968年

出版社     (株)文藝春秋

 

☆☆感想☆☆

 源義経のことを描いた歴史小説である。義経のエピソードとして有名な京の五条の橋の上での弁慶との出会いは出てこない。そして静御前との吉野の別れや、静御前が鎌倉で源頼朝や北条政子らの前で義経を慕う歌を歌いながら舞を舞う場面も出てこない。義経にまつわる名場面を期待していると肩透かしを食う。小説として義経や同時代のいろいろな人々の行動や思いが描かれているが、義経については司馬遼太郎の視点から切り込み論じている。その一つは義経の戦術を世界史的な視点から再評価した点である。乗馬武士を騎馬集団として運用し、騎兵の特徴である長距離移動による奇襲という戦術は、それまでの源氏にも平家にもないもので、370年後に桶狭間で織田信長が成功させた以外には、義経の一の谷の鵯越の攻撃が唯一だし、ヨーロッパでも成功した例はまれで、明治以降に入って来た近代騎兵思想の先駆をなしているという。義経は1対1の戦闘の集合だった戦いに戦術という考え方を持ち込んだ武将だという評価を与えている。頼朝が関東武士団の棟梁としてライバル関係にあったり、敵対した場合は源氏の一族であっても容赦しなかったのに対して、義経は血のつながりを重視し続け、主従関係として頼朝と自分の関係を把握できず、頼朝の目指しているものもわからなかったし、関東武士たちの土地への執着と利害に敏感な性格も一夫一婦制も理解していなかった。そうした義経の考え方は、幼い時に母親から切り離され、寂しく鞍馬山で育つという血縁の者に対する渇望の強さ故であり、父の敵をとることだけを目的として生きてきたからだとしている。この小説の中では、奥州平泉に向かう途中で案内人の吉次とは分かれ分かれになり、一人で奥州に向かっている。元服も一人でしている。熱田神宮は頼朝の母の実家で、そこで義経が元服したという伝承があるが、それもあっさり無視されている。義経の好色な性向は、関東から奥州において貴種の種を求める一族や女が殺到してきた生活が育んだとしている。また、頼朝のご落胤と言われる若武者も出てきたり、後白河法皇の武士たちの没落を楽しむ意地悪さなど、いろいろ面白い。 


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