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『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

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読書感想166  日本国最後の帰還兵深谷義治とその家族

2015-03-04 13:17:57 | 時事・歴史書

読書感想166  日本国最後の帰還兵深谷義治とその家族

著者      深谷敏雄

生年      1948年

出身地     中国・上海市

出版年月    2014年12月

出版社     (株)集英社

 

★感想★

 深谷義治氏の次男の敏雄氏が中国での生活と日本に帰国してからの生活を綴ったものである。深谷義治氏は中国で何をしていたのか。

まとめると以下のようになる。

 深谷義治氏は第二次世界大戦で日本軍に従軍し憲兵として中国大陸で「特殊任務」という地下工作に従事した。中国人を装い、国民党の偽紙幣の製造・流通といった任務を成し遂げた。終戦後、上官が下した「任務続行」という命令を受け、中国の大地に13年間潜伏しながら諜報活動に従事した。しかし昭和33年(1958年)、戦中戦後にかけて日本国のために働いたスパイ容疑で中国当局に逮捕され、世界でも最も処遇が厳しいといわれる上海市第一看守所(拘置所)と上海市監獄(刑務所)に、合わせて20年4ヵ月収監された。判決を受けるまでの16年間は外界との連絡を一切禁じられ、公安によって家族には生死さえも極秘にされた。中国人の妻と4人の子供は罪人の家族として生活した。

 田中角栄首相の訪中の2年後の昭和49年(1974年)に「中国の安全に対し重大な危害を与えた罪」で中国政府から無期懲役の判決を受けた。戦後スパイとして潜伏した事実について深谷義治氏は完全黙秘を貫いた。昭和53年(1978年)日中平和友好条約の締結を受けて特赦され、5人の家族とともに帰国。帰国後6年目の昭和59年(1984年)に上官たちの勧めで、テレビ朝日「日本100大出来事」という番組に出演。戦後も日本のスパイとしての任務を続行したことを公表した。

 本書によれば、中国政府は戦前の活動については許し、戦後スパイ活動をしていたと話せばただちに釈放すると約束したが、深谷義治氏が完全黙秘を貫いていたので未決のまま16年も拘禁された。しかし深谷義治氏に命令を下した上官は戦後まもなく帰国しているのに、特殊任務解除の命令をなぜ下さなかったのだろうか。陸軍も解体され、命令を下すべき中枢組織がなくなっていたからであろうか。自衛隊も戦時中の機密を引き継いでいるようには見えない。3年に一度上海の新聞に広告を出すことで連絡をつけるように命じられてそれを実行していたようだが、日本からの応答はあったのだろうか。深谷義治氏は戦後の諜報活動の詳細にはインタビューでも語っていない。ルバング島で留まっていた小野田寛郎さんは日本からの連絡もないまま放置されていた。深谷義治氏もそうだったのではないだろうか。表面化していないが、戦後も現地で諜報活動をするように命じられた兵隊は少なくないのではないか。

日本軍が解体されるといった敗戦のシュミレーションを一切していない日本軍は、どこまでも日本兵を虫けらのように犠牲にしてはばからない組織だ。帰国後の国としての対応も杓子定規のお役所仕事で義治氏の労苦に報いてはいない。当然の権利さえ認めていない。

 本書の中で救いだったのは、15歳で義治氏と結婚し、4人の子供をもうけた中国人の奥さんと子供たちが義治氏を支え続けたことだ。義治氏は潜伏生活を偽装するための結婚だったが、奥さんが愛情のあふれる誠実な人柄で、子供たちもお父さんに愛情を持ち続けた。

過酷な獄中生活の中で獄中記録をつづり続け、なお寝たきりとはいえ現在99歳で生きていらっしゃるということに脱帽し、スパイとして選ばれたのには心身ともに資質が優秀だからだと納得してしまう。

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