「長崎の教会群を世界遺産に」という運動が長崎県の主導の下に行われている。長崎はカトリックの殉教の地であり、250年に及ぶ弾圧の中でキリスト教を守り抜いた隠れキリシタンの地でもある。また原爆からの立ち上がりにも教会を中心にした信仰の力が大きな支えになったのであろう。そういう意味からも長崎はカトリックの聖地であり、世界遺産にふさわしい土地である。
1865年に大浦天主堂を見学にきた浦上の信徒がキリシタンであることをプチジャン神父に告げ、隠れキリシタンが姿を現した。それが幕末から明治初年までのキリシタン弾圧を生んだ。
踏まないと非改宗者として処罰されたので、後には踏んでから神に許しを乞うという風に対応したそうだ。
長崎駅から10分ほどの丘の上にある。1597年に日本人20名、外国人宣教師6名が処刑された地。
26聖人の殉教を目撃した証人。
1867年から1873年(明治6年)まで続いたキリシタン弾圧は浦上4番崩れと呼ばれた。明治元年に明治政府により浦上総配流が決定され3394人が西日本の各藩に流配された。うち5分の1にあたる613人が流配地でなくなっている。
信仰の自由を得て帰村した信者たちが貧しい中で20年かけて1925年に完成させたのが旧浦上天主堂だった。
原爆で旧浦上天主堂は破壊され、浦上信徒1万2000人のうち8500人が被爆死したという。
現在のものは1959年に再建され、1980年のローマ教皇の訪日に合わせて改修されたもの。
被爆した像。