田園調布の山荘

「和を以て貴しとなす」・・ 日本人の気質はこの言葉[平和愛好]に象徴されていると思われる。この観点から現代を透視したい。

200402 朝の散歩 昼の散歩(237)・・・愛 LOVE 友

2020年04月08日 21時29分14秒 | ブラジルと私(ブラジルをかじる)
西村さんは、若くしてブラジルに渡り、大きな会社を作り、そのお金で農業の高校を作った方です。10年前に100歳で逝去されました。生前、私はずいぶんお世話になりました。西村さん、学校経営の傍ら、お手紙に付して、時々面白いエッセイを届けてくれました。次回から少しづつご紹介します。 . . . 本文を読む

200401 朝の散歩 昼の散歩(236)・・・愛 LOVE 友

2020年04月08日 21時19分05秒 | ブラジルと私(ブラジルをかじる)
西村さんは、若くしてブラジルに渡り、大きな会社を作り、そのお金で農業の高校を作った方です。10年前に100歳で逝去されました。生前、私はずいぶんお世話になりました。西村さん、学校経営の傍ら、お手紙に付して、時々面白いエッセイを届けてくれました。次回から少しづつご紹介します。 . . . 本文を読む

190619 朝の散歩 昼の散歩( 208 ) 愛 LOVE 友・・ブラジルのTさん一家

2019年06月28日 09時23分32秒 | ブラジルと私(ブラジルをかじる)
ここ数日、晴れが続き、早朝の散歩は快適である。橋の上から多摩川河原を眺めると、白と黒の鳥(カワウ?とシラサギ?)が河辺で仲良く就寝中。河原に降りて、花をつけた雑草を一渡りチェックした後(写真)、草原にお尻をつけて足を広げて柔軟体操、傍らの木につかまって片足の上げ下げをそれぞれ5分。1時間半ほど、人々とおしゃべりをしながら河原をぶらついて帰宅。7:15分、早速ゴミ出し、みそ汁つくり、コーヒーつくり。まだだれも起きてこない。今日は弟の命日(1967)、そしてN省の親友S氏の命日(1982)。いずれも夭折。写真を掲げて仏前に備えています。ちょうどこの時節は梅雨の真っ最中、蒸し暑い中を喪服を着て葬儀に参列、共に故人の友人たちとあいさつを交わしたことを今でも鮮明に覚えています。そんな気うつさの漂う6月ですが、今年は、ブラジル移民二世のTさんから、明るい手紙を受領。Tさんとは30年のお付き合いでブラジルで農業の問題い取り組む仕事を一緒しました。そいて大変お世話になりました。(Tさんの父が開校した農業高校、サンパウロ州にある。遠景)Tsannnootousannga   . . . 本文を読む

170624 朝の散歩、昼の散歩(70)・・・加計学園、前川喜平さん、あれっ?

2017年06月24日 17時38分36秒 | ブラジルと私(ブラジルをかじる)
加計学園問題で 今渦中の人になっている前文部事務次官、前川喜平さん、あれっ?どこかで聞いた名前だなと思いながらすごしていた。2日前、その前川さんが、産業用冷凍機MYCOMで知られる前川製作所の創業者の喜作翁(1895-1986)の孫であることを知ってひどく驚いた。喜作翁は、優れた経営者であるばかりでなく、創業者利益で昭和30年、目白の旧細川侯爵邸を買い取って、和敬塾という男子学生寮を開設した。共同生活を通した人間形成を目指す事業を開始したのである。喜作翁の想いを受け継いだ和敬塾の出身者は5,000人以上、各地で活躍している。現在も、国内外のさまざまな地域から集まった400人の大学生、大学院生、留学生が自分を磨き、お互いを高めあいながら共同生活を送っているという。若き日の村上春樹もここの塾生だったとか。 . . . 本文を読む

151224 15年前の日記「ブラジルに農業移民した佐藤さん(秋田県)」

2015年12月24日 14時11分40秒 | ブラジルと私(ブラジルをかじる)
ブラジルに滞在しているとき知り合った佐藤さんの思い出です。佐藤さんは既に故人、それも何とはるばる日本を訪れようと、車にお土産を満載してサンパウロ空港まで来たところ、交通事故に会って車が転倒、即死されました。私は約束の日時に私の事務所に待っていたのですが、いつまで待っても現れないので、知人を介して現地に問い合わせたところ事故を知りました。ブラジルは交通事故の多い国です。輸送はほとんどが自動車で、広大な国土に拾い国道が縦横に拡がり、そこを物資を満載したトラックが走り回っています。15年前の日記から其の思い出を記しました。 . . . 本文を読む

151224 23年前の日記「ブラジルの日系移民の星と出会う」

2015年12月24日 11時42分24秒 | ブラジルと私(ブラジルをかじる)
1992年、ブラジルに渡ったとき、日系民の星といわれるN翁と触れあった。彼は裸一貫でブラジルに渡り、鍛冶屋から身を起こして有数の農機具会社を育て、世界記号になった。彼の凄いところは、儲けたお金を教育に再投資したところにある。彼は工業も取り入れた農業高校を作った。ここで内外の留学生も招き全寮制の知行合一の教育を施している。、この記録は日本から訪ねてきた若き研修生にお話しをしているところを私が盗聴しておいたモノである。 . . . 本文を読む

151218 山代ブラジル会(39回例会)で「和食の普及」を議論

2015年12月23日 23時20分05秒 | ブラジルと私(ブラジルをかじる)
山代ブラジル会は、12月18日、八丁堀で開かれました。和食が世界遺産に登録されたことで、関係者は勢いづいていますが、和食を世界に普及する(輸出する)と言うことが実際は何をさしているのか少々不明です。寿司や天ぷらを世界で食べるようになると和食の普及なのでしょうか?これはおかしいですね。今日の会は日系ブラジル人の起業家が10人以上列席し、私たちが彼等の要望にどう答えるかの意見交歓となりました。ここには、語られた内容の公表は差し控えますが、冒頭私が行った基調コメントを紹介します。 . . . 本文を読む

151221 15年前の日記「日本の小ささ」

2015年12月21日 09時18分16秒 | ブラジルと私(ブラジルをかじる)
日本語はほとんど日本の中でしか通用しない。これに反して中国語、英語、スペイン語はほぼ世界中に拡がり、これを使う民族の発信力は日本の発信力を遥かに凌駕する。日本は経済大国だが、文化小国である。かといって文化が弱い国ではない。これを発信する力が弱いということである。世界人口70億弱の内、1.2億が日本人、だから70人弱に一人しか日本語は通じない。日本文学も通じない。日本語放送も極めて無力だ。さらに日本は極東と言われるほど世界の地図からはみ出そうな位置に描かれることが多い。好奇心を持って日本に行きたい人達がそれなりに多いのだろうが、航空運賃は馬鹿にならないし、行った所で言葉の壁は絶望的でもある。だがこの特異性は逆にいえば好奇心をかき立て、世界の大金持ち、小金持ちは日本に行きたい、日本文化と交流したいという気持も抱かせるに違いなかろう。こうした状況を見極めて今後我が国は世界と交わるべきではなかろうか。これまでは経済力が文化力を寄り倒していたように見え、弱い文化発進力で世界から余り尊敬を受けていなかったとも言える日本である。しかし日本は平和憲法を掲げる非戦国家であり、独自に発展してきた文化の特異性と其の厚みは世界中を魅せるだけの力を持っていることを発信したい。 . . . 本文を読む

151220 16年前の日記から「日系人経営のホテル」

2015年12月20日 15時48分57秒 | ブラジルと私(ブラジルをかじる)
ここに記すことは一見ブラジルの日系人の質の悪さを攻撃しているように見えるかも知れない。しかしそうではなく、ブラジルにおけるサービス産業のレベルが2000年の段階では極く低かったという事実を表す一例の記録である。現在はそんなことは全く無い。 . . . 本文を読む

15年前の日記から「ブラジルで拾った話」

2015年12月20日 15時37分45秒 | ブラジルと私(ブラジルをかじる)
私はブラジルに魅せられて1992年から幾度となく同地を訪れています。そしてある研究会(山代ブラジル会since2007)でいまでも様々な事に関わっていますが、何しろ超大国で、懐はたいへん深く、汲めどもつきぬ魅力に溢れています。ブラジル滞在中にいろいろ面白い話を拾いましたが、その中の一つを紹介します。 . . . 本文を読む