1970年頃は、日本が勢いよく成長している時に当たる。いわゆる高度成長である。売上が年々伸び、勢いよく設備投資が進み、個人消費も盛んになって企業の業容が拡大していった。こういうことを可能にしたのは、安い石油の下での電力供給と重化学工業の爆発的発展だった。若い社員のボクだって、実力以上のことを、失敗も恐れずにやらせていただいていた。今と決定的に違うことは、会社がCOMPANYであったことだ。 . . . 本文を読む
ブラジルを囓り続けて30年。1985年、ブラジル移民とのふとしたふれ合いから、ロングランで交流が広がっていった。私の興味はビジネスからではなく、世界の広さを知りたいという単純な動機からだった。先ず、ブラジルを囓るには、100年余になる日本移民の形跡を少しでも触れるところから始めるしかない。これが1992年に始まった。 . . . 本文を読む
なぜこんなカテゴリーを設けるのか。高校1年の時、私は男子クラスにいた。男の生物の教師が分類を教えているときに、霊長類のところに来て、クスッと笑いながら「人類の他に、女類というのもあるが・・・」と軽口をたたいた。クラスの男達は一斉に吹き出した。15歳ともなれば、男の子は女の子に対してそれなりに関心を高め、話題にすることを喜ぶ。先生の言葉にそれぞれが何を感じて吹き出したかはわからなかったが、女生徒の居ない「開放感?」からか、幾つか品のない笑い声も聞こえた。そこには質の違ういろいろな声が混じっているようだった。私もなんとなくおかしかった。 . . . 本文を読む
地球環境のさまざまな歪み、特に気候変動に現れている、物質とエネルギーの循環の不整は、超長期的には正常化、即ちリストラ化されるだろうが、この正常化のプロセスに於いて、人類が営んでいる生活と経済システムは仮借なく、先駆的にハードランデイングにさらされる。 人工物によって生命を維持している人類は、生命を守る保護膜が、上位システムである地球の生理と不調和になることによって、機能不全を起こし、その後に溶脱してしまう。そうなったら、おそらくは人類史は1万年以上逆戻りするだろう。いかにコンピュータやロボット、医学や防災工学が進化しようとも、環境の歪みをもろに受ける、それに連動している生物としての肉体のメカニズムは、現在の人類の生活や経済の仕組みの中では、健康に影響を被らずに保全することはできない。 . . . 本文を読む
無限知といわれる人工知能の地平にただ驚嘆しているだけなのが昨今の風潮のように見える。ソフトバンクが開発した「ペッパー」というロボットは人の感情を読み取り、身振り手振りを交えて会話できるそうだ。 さあ、これをどう評価する?評価の手段は何か?ボクの評価軸はA、B、C、D、Eの5軸だ。 この5文字は次の英語の接頭語だ Amenity,Benefit,Companionship,Development,Environment。Aは「気持をよくすること」 ぐらいの意味、Bは、利益とか便利とか言う意味、Cは人々が楽しく働き楽しく時間を使うという意味。Dは発展という意味で拡がりを持つとこと。Eは環境という意味です。そして人によって、それぞれ価値観は違うので、絶対的、客観的な評価は不可能であろう、さあこのロボット君、ボクにどんな満足を与えてくれますか? . . . 本文を読む
二兎を追う者、一兎を得ずのたとえか。今二つのサークルの練習に尻を追われている。7月には発表会があるので、コーラスはもう暗譜の段階に入り、楽譜には注意の書き込みが一杯になって、結局わけが分からなく、後は「えい!、侭よ」と言う流れになっている。暗譜とは暗記ではないと思う。求められるのは作詞者と五感を共有するという想像力だ。これを高める精神力の動員と言える。そうでなければ聞く人に感動が伝わらないことはよくわかる。機械語を肉声にして産出するのではなく、感情を表現しながらアピールするボディコムニケーション力と歌唱力が求められる。コーラス参加は、「声のラジオ体操」という軽いのりで、集まって発声する健康法だった私の目的は、今とんでもない形に「進化」している。 . . . 本文を読む
日本が食うに困らぬ国になったと、農業を軽んずる風潮はもう何十年も続いている。何も高い国産品を買わなくても激安の食品や世界中から美味しいもの、格好良いものがが一杯来ているじゃないかと。こういう商流に押されて日本の農業は後退を続けています。これに応じて地域の衰退も顕著になっています。
ここではそのことは離れて、住んでいる地域に産業がある、言い換えれば働き場所があることが当たり前ということを前提として、日本が農業を滅ぼしたらその他の産業はどうなるという問題意識を提出しましょう。 . . . 本文を読む
150616 環境圧力 戦中に生まれ、農村生活が長かった私にとって、昭和40年頃から現在までに至るすざまじい一極集中の動きに、わずかずつ体調を崩されてきたように思う。今老年になってつくづく思うのはわずかな緑に恵まれ、道路からの喧噪を受けない自分の家(2階屋)に住む幸福感である。家と言えば平屋、例外的に2階家しかなかった往時からみると、東京の区部は、戸建てでも2階から2.5階の家が普通である。そしてそれらは極端に緑を削り、少しでも空き地があれば5階以上、ごく最近では10階以上の高層住宅が作られる。こうして人々は、緑と離れ平面(前後左右)ではなく立面(上下)に分布するようになった。 . . . 本文を読む
今、安保法案で国会が大きく揺れている。この国の最近の政治リーダーは、平和と戦争の関係について、極めて安易で横着な「論理」を提出し、これが憲法を超える、急造的な論理であることを物ともせず、議決を計り、詰まるところ、世界で「ドンパチ」をやることを可能にする道を開こうとしている。これは、日本は資源小国、海外での資源確保は日本の生命線、これを守ることは自衛(即ち海外派兵)という三段論法である。この論法には、日本に対峙する諸国の事情、人々の生活などまるで入っていない。これらの諸国には、アジアやアフリカや中東には、人々が生活し、その資源を管理し、磨いている。これらの人々との対話、即ち外交的努力を抜きに、力を使う、これを私は帝国主義の論法と言う。 日常会話のレベルで、「日本は資源小国」であるという文脈で論理やら主張やらを展開する場合、資源は鉱物資源と農地や漁場のことである。これは、一旦使われれば、あるいは略奪的に、特に商業主義的に使用すれば何れ枯渇するか再生不良状態になることは誰でも納得する。枯渇資源の大宗は石炭、石油、天然ガス、鉄、非鉄金属で、再生不良資源は森林、農地、漁場である。鉄や非鉄金属は一部は再生利用されるが、あくまで一部である。そして、国家が工業化を進めるためには、これらの資源を囲い込まねばならず、直接資源のある地域を排他的に確保し、そこから市場に通じる輸送路を確保する手段を要する。とてつもない遠隔地に日本の生命線というライン(縄張り)を張り、威嚇した時代があった。 . . . 本文を読む
150530 手前味噌作り
今年も新潟県十日町へ味噌作り体験に行った。新潟地方の味噌は深い味があり、家族に非常に好評である。私が集めた近所の9人のメンバーと、8人の委託者(代わりに作って来てほしいという人のこと)で作った量は170㎏。大樽3ヶ分もある。 . . . 本文を読む