田園調布の山荘

「和を以て貴しとなす」・・ 日本人の気質はこの言葉[平和愛好]に象徴されていると思われる。この観点から現代を透視したい。

151205和食の普及とは?

2015年12月05日 10時50分05秒 | ブラジルと私(ブラジルをかじる)
第2回の日伯和食研究会は、第39回山代ブラジル会例会として行いますのでご案内します。食に関してはどなたも考えや意見を持っています。この会にご関心のあるかたは、事務局までご連絡下さい。席数に限りがありますので、お早めにご連絡を。 . . . 本文を読む

ブラジル交遊録(1)

2015年06月27日 09時48分00秒 | ブラジルと私(ブラジルをかじる)
ブラジルを囓り続けて30年。1985年、ブラジル移民とのふとしたふれ合いから、ロングランで交流が広がっていった。私の興味はビジネスからではなく、世界の広さを知りたいという単純な動機からだった。先ず、ブラジルを囓るには、100年余になる日本移民の形跡を少しでも触れるところから始めるしかない。これが1992年に始まった。 . . . 本文を読む

150301 ブラジルと日本の修好、大チャンス

2015年03月27日 10時10分03秒 | ブラジルと私(ブラジルをかじる)
南半球の大半は植民地だった。ほとんどの国は、英領、西領、仏領、蘭領、独領、伊領、白領、葡(ポルトガル)領だった。遅れて米国が参戦し、更に遅れて日本が、更に遅れてロシア(ソ連)が、中国(現在)、踏み込んできている。これは人類史上で異常な出来事で、わずか500年の期間である。そして長続きしないし、固定するはずがないという流れが顕著になっている。この手法(お金や武力で民族を従わせる手法、途上国では、農業ではプランテーション方式、ランドラッシュ方式)は、世界を覆っている民主主義・民族自決・多民族共生・食料主権の思想に真っ向対立しているので、これからはそういう手法は無効で、摩擦を生じさせるだけで衰退しかない。21世紀の世界は、間違いなく資源食料を中心とした、環境保全的な国作りの方向に向かうだろう。 . . . 本文を読む

150202 ブラジル会のコメントーーホームページの立ち上げと日伯交流の機会創造

2015年03月27日 10時02分55秒 | ブラジルと私(ブラジルをかじる)
1月30日、京橋区民館において、岩崎透氏の参加も得て、山代ブラジル会の今年第一回例会(通算35回)が開かれました。参加者は、30名近くとなりました。(事務局で集約) 日伯修好120周年の意義と関連イベントの紹介が岩崎氏から、またその補足が、清水裕幸氏(在日ブラジル商工会議所)、櫻井敏浩氏(ラテンアメリカ協会)からなされました。その後、参加者全員から自己紹介と、この会に対する期待や注文を頂きました。共通点は、日伯の交流を多角的に、それぞれの立場から深め、また発展させること、その足場(プラットホーム)として当会を充実させ、建設的な議論も発展させることでした。  この会は、個人が集まって建設的な意見や提案を持って交流するサロンであり、議論の先には一歩踏み込んだ「事業」も展望できます。  幅広いご専門を擁する当会にとって、ひとりひとりが微力でも、これを集めれば、何れ大河となる源流を作ることもできるでしょう。 . . . 本文を読む

150323 書評 ブラジルの不毛の大地「セラード」開発の奇跡—本郷豊 

2015年03月25日 15時28分18秒 | ブラジルと私(ブラジルをかじる)
ブラジルといえば、昨今、ワールドカップサッカーの主催地(2014)、リオデジャネイロでの次期オリンピック(2016)のことで大きな話題となっている国である。そしてわれら共通のイメージは、地球の裏側、移民、コーヒー、アマゾン、リオのカーニバル、サンバ、サッカーなどで、遠いが親しみの持てる、未来を感じさせる明るさを持つ国ということであろう。 ブラジル移民は1908年に始まったことは、ブラジルに関係をしている人にとっては常識に入る。しかし、ブラジルが16世紀からヨーロッパ、アフリカからの移民や奴隷の移入などによって、木材、砂糖、金、コーヒー、ゴム、鉄などの資源供給国として歴史を刻んできたこと、そして現代においては、鉱物、穀物、工業製品、燃料など【何でも生産、供給できる】一流大国として存在感を増していることを知っている人はそれほど多くはない。先住民との混血や多様な言語、民族が入り交じるブラジルに、遠く1世紀以上も前に . . . 本文を読む

ブラジルとの友好を(21世紀の日本の課題)

2009年12月28日 16時52分13秒 | ブラジルと私(ブラジルをかじる)
私とブラジルとの係わりは1984年以来だから、もう25年にもなる。友人の紹介により私は日系ブラジル人と友達になった。それが1984年である。当時私は農業のコンサルタント(自営)をしていた。ブラジルに行った日本人は多くが農業を営んでいる。わたしは、ささやかな知識を紹介する仕事をブラジルに対してもう25年も行っている。こんなことで、日本にも「ブラジルを知る会」とか「山代ブラジル会」の私的なパーテイをつくり、二国間の橋渡しを行ってきている。 . . . 本文を読む

3月5日にブラジル人のお客さんと10人の男ばかりのパーテイ

2009年03月13日 22時22分51秒 | ブラジルと私(ブラジルをかじる)
090305ブラジルから友を迎えて もう二年になる。ブラジルへ旅行したのは2007年の正月過ぎ、仕事を兼ねての8度目の旅であった。この度の目的の1つが、セラードといわれる広大なサバンナ風熱帯疎林地域の日系農家である。40年前から開発され、先進的な日系農家が入植をして、コーヒー、フェジョン、ニンジン、トマト、綿、ニンニクなどの畑作地域を作っていた。こんな農家の一人でトマトやバナナを作っているMさん(石川県出身の二世)が、仕事仲間のブラジル人を伴ってやってきた。言うまでもなく、楽天的で朗らかな気質のブラジル人は、日本に来てさらに明るく振る舞い、旧友に対するのだ。 . . . 本文を読む

第10回山代ブラジル会、急降下する世界の景気の中でブラジルは?

2009年03月06日 23時03分49秒 | ブラジルと私(ブラジルをかじる)
第10回山代ブラジル会は、2月14日(土)、八丁堀で10人が参加して開かれました。当日は、元外交官、ブラジルクリチバ州の総領事の佐々木さんご夫妻をお招きし、私個人としては旧交を温めることにもなりましたが、思えば2000年の夏、日本は暑かったがブラジルが寒さで震えていた時に現地に行き環境セミナーに参加した時のことが思い出されました。 . . . 本文を読む

2000年8月、ブラジルで講演しました(思い出の記録)

2008年10月04日 15時08分25秒 | ブラジルと私(ブラジルをかじる)
ブラジルで講演しました。 山代勁二 南ブラジルのパラナ州の自然豊かな農村を巡っています。ちょうど、同地の22町と州政府、フランス、イタリアポーランド、ルーマニア、および日本の総領事が集う「農業と地球環境セミナー」(8月4日)で基調講演をする機会がありました。以下に同地でしゃべったことを詳報します。 . . . 本文を読む