都議選のさなか、ある候補者から電話をもらった。支持拡大にあなたの力を借りたい、推薦、紹介リストを提供して下さいとの依頼だった。この電話、一瞬、誰から?と思ったが、そういえば我々のイベントに時々名刺を置いていくあの人?その時挨拶程度の立ち話をしたっけ?私は、その顔を覚えていない。彼に限らず地元の都議、区議はよく我々のイベントに顔を出すが、私とはどなたとも一度として政治的な意見交換をしたことがない。私はその候補者に言った。「あなたの頼みに“はい、分かりました”とは言えない。あなたの政策が、私の意見と一緒か、少なくとも近いかを知ることができていない以上投票はもとより推薦、紹介などできません。ただ政策は読ましていただきます」。私のつれない言葉に電話口の向こうから彼の狼狽の様子がありありとうかがわれたが、気の毒とは思いながらも私は電話を切った。
ところで、候補者に対し選挙民として当然のことを言うのに気後れするのはどうしてであろうか?選良というのは、人々の意見の代弁者である。ほとんどの候補者は『上から目線』で自分のあるいは自党のキャッチコピー(注-政策ではなく)を呼号するだけに見える。
今の政治風土は、選挙の時に言うことと実際にやることが、180度違っていても、選挙民は責任を問わない。思うに、これは我々の側に責任がある。一人一人が主権を行使しない、主権を自覚しないとこうなる。そうこうしているうちに知らず知らずのうちに、この国はとんでもないことになるのではないか。
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私の友達というか、先生というか、普段交遊しているY 氏(北海道在住)からのレターを公開します。東日本大震災から2年、ローマンクラブの[成長の限界]から早40年、世界史の大転換の時期と言われる今日、モノの見方の指針です。
3・11から2年。成長の限界から40年の検証に照らし、大転換の意味を問い直す
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