「北朝鮮からミサイルが飛んできたらどうしよう」「どうしようもないさ」「頑丈な建物に隠れていれば大丈夫かな?」「あほな」「核シェルターが売られているようだね」「被爆を免れたとしても、放射能で、外に出られない」「通信もできないものね」・・・朝の散歩でこんな話が時々行き交う。いい大人の会話としては虚無が漂う。だれも戦争が現実に起こるとは思えない、アメリカ軍や自衛隊がミサイルを打ち落としてくれるとも思えない、もしかして「起こる?」の不安が高まっているがパニックはない。「もしかして・・」があってはならないが、今の両国間の外交(ではないけれど)は核兵器をちらつかしての角突き合いだ。
日本国民は首をかしげている。 . . . 本文を読む
4日ぶりの晴天がやってきた。足下がぬれていたが勇んで朝の散歩に。朝焼けの空を見上げると雁の列が2-3グループ、羽田の上空を着地点を探しながら舞ってきた。渡り鳥の数は近年増えたように見え、多摩川の晩秋から冬の景観に美しい区切りをつける。
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雨が続き、身動きが取れないこの数日。大森の多摩川まるしぇに行っても老兵はお呼びではなく、風邪を引かぬうちに引き上げなさいとの親切なお声がどこからか。駅前に現れる選挙の街宣車、必死の運動員に経営を表してチラシを受け取る。運動員も雨の中で声をからしている。
帰宅して郵便箱を覗くと茨城の旧友から分厚い手紙が届いていた。そして同時にお米が10㎏も。よく見ると地元JAのブランド米だった。
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摩川散歩でわかった。毎日、決まった時間に、顔だけは知っているが住所も名前も知らない同士が親しく体操し、会話する・・・なんて。それも1年、2年、いや、5年、6年、中には30年の人もいるらしい。これは、人と人との上下もない、経済で結ばれた関係もない、階級も身分もない。これこそ自由社会の人間関係、市民社会というべきか?とはいえ会話の中身は決して上滑りの挨拶に終始しているわけでもない、今の社会の様々な問題を、おとなしく、礼儀正しく、それぞれのコトバで、控えめに交わし合って、笑ったり、眉をひそめたり、鋭く怒ったりしている。そこを支配しているのは道理だ。
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