6世紀末から、16世紀半ばまで、1000年の間、日本の国の文化は、成熟の一途をたどり、その思想の基本的な性格は揺るぎのないものになって行った。ところが16世紀半ば、西洋の一神教文明、その先兵としてのイエズス会と出会い、これを契機として日本国の性格が大いに揺すぶられていった。
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昔の職場のコーラスの仲間と40年ぶりで再会する日である。
40年ぶりに出会う職場コーラスの面々とこの日の出会いは、どのような光景なのか、全く想像もできないままその日になったのであった。東京を夜行バスで発って、早朝から午前中は桜の宇治平等院を満喫した。今回の関西行きは行きも帰りも夜行バスを申し込んだ。その理由は今回の旅行は特別に思い出を刻みたかったからである。思い出には新幹線では味気なさすぎる。午後宇治市にある会場に着くと、「いる、いる」物静かな男たちがぞろぞろと会場に向かって歩いている。ほとんど40年ぶりに合う男たちだ。女性はもう到着しているらしい。 . . . 本文を読む
フェリス女学院大学の本間愼(前学長)氏にお目にかかることが出来た。同氏は農学博士で農工大の教授を経た後に同学院に請われて教授に、そして学長となった。学長として真っ先に取り組んだことは学園のエコキャンパス化である。学内を歩いてみると至る所に自然エネルギー利用の工夫が施されている。しかもそれは高価な複雑なメカではなく、きわめてアナログ的、手作り的なしかけばかりである。 . . . 本文を読む
町に溢れる豊富な食材、レストランが妍を競う銀座や新宿、自由が丘など、外食が増えた。洋食が増え、間食が増えるた。人々は栄養過多となり、糖尿のリスクの淵をさまよい、自分たちの体の原料としての「食」について注意深い管理をしなくなった。すなわちおいしさだけを大切にして飽食をするようになった。見渡すと食材の種類と各国料理の導入の種類は日本が世界最大ではないかとも思える。しかし、人々の健康の基盤はかつて無いほど揺らぎ、病的な体質を生みつつあるというのが私の心配事である。欧米には寝たきり老人の数が少ないというのに日本では60代、70代になるとそのリスクがどんどん高まっているという惨状だ。なぜなんだろうか? . . . 本文を読む