日の出は6時50分ぐらいなので、暗い朝の川辺を歩くのは少々足許がおぼつかない。怪我をしては一生の不覚となるので極めて慎重にノロノロ運転をしている。従ってたいした運動量ではないが、まあぼちぼち。7時半になると、部屋に差し込む横からの日差しが眩しく暖房もいらないぐらいの日々だ。
大寒入りのこの日、昼過ぎから千鳥町の工藤さん(北秋田出身の友)のきりたんぽ鍋の会を開く。兼ねたから料理自慢の工藤さんに「一番寒い日にきりたんぽ鍋を」と求めていたのが実現した。
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広島市は太田川の三角州の上に開かれた都会である。牡蠣は太田川が枝分かれする河口一帯の3つの集落に限られていたという。三方が山に囲まれ島も多く、秀気自ずからこもれりとい割れる安芸国、天然が気に恵まれやがて畜養法を開発して一つの文化を築くことがどういう偶然から発したかはわからないが、根気と手間のかかる牡蠣の養殖を産業に仕上げた広島の漁民の能力は端倪すべからざるものがあろうか?我が父祖の漁民の業績は文書や文献にはさほどの記録はないが、聞いてきた話はかなり壮大だ。 . . . 本文を読む
昨夜は牡蠣のフライを満喫した。どうやら広島牡蠣らしい。それにつけても冬の寒い時期になると父祖の地である広島を思い出す。我が一家昭和19年に戦火を逃れて、島根に逃れ、戦後は広島、兵庫を転々と難民生活をしていた頃、広島市向洋という入り江の親戚からは時々生牡蠣が送られてきて、とても温かくそして美味しくいただいた。 . . . 本文を読む
散歩の帰途、多摩川丸子橋の河原を見ると草むらは霜で白くなっている。鏡のような水面には渡り鳥が静かに浮かんでいる(写真左)。足許を見ると霜柱が不規則に土を破っている。手袋を外すと指先に強烈な冷えが襲う。今日はもっとも寒い朝なのかなと思いつつ帰還。今日月曜日は資源ゴミの回収日。前日準備しておいたダンボール、空き缶、空き瓶を収集所に運び出すと汗ばんできた。帰還したらいつもは新聞、コーヒーだがこの冬は必ず味噌汁つくりをやっている(写真右)。おかげで味噌の種類とか、味、栄養成分、そして品質に少し知識を加えることができた。 . . . 本文を読む
寒い朝は寝床で足がつったり、血圧が上がったりしやすい。トイレに行くときや、入浴の時など、動きが緩慢になったりもする。高齢者はとかく注意を求められる。
100歳の母の変調も転倒からだった。悲鳴を聞いて駆け寄ると上がりかまちのところで下駄箱に下敷きになって倒れていた。母がよろめいて下駄箱にすがった結果だった。年寄りの転倒は死を近づける。母は、2年後に生涯を閉じた。転倒が寝たきりを招き、死を早めることは既に世の中の常識になってきている。 . . . 本文を読む
朝の散歩を始めて1年半、約400回あちこちを歩いたが、一言感想を言えば、大田区は美しいところということだった。(他の区がそうではないと言うことでは決してないが)自然、文化、遺跡が身近にあり、人々がこれらとうまく交流しているように感じる。 . . . 本文を読む
ふと手にしたコラムに恐ろしいことが書いてあった。世界には今もって独裁者が多いけれども、この100年の間に、病気が原因で独裁者が狂い、国を無茶くちゃにしたらしい事例が・・・。ヒトラーの末路、手が激しく震えていたらしい。これがパーキンソン氏病であるらしいことは、映像を見た専門家がなべて指摘している。 . . . 本文を読む
今年も無事に過ごせそうでありがたく思うが、つくづく思うに、年々歳々「出会う人より別れる人が多い」という宿命に思いをいたす。ところが、多摩川まるしぇにトマトフェスタ実行委員会の店を作って野菜とかお芋とかを通じて町の人と話していると、結構私の顔と時には名前を覚えてくれている人が増えたようで、出会いだけは作っているのだが、今度は私の記憶力が追いつけない。
・・・ええと、どちらさんですか?
私の記憶力と推理力を総動員し、時にそれを戦わしているが答えがない。 . . . 本文を読む