今資本主義が大変な危機を迎えているという観測が多くなってきている。こんな難しい分析は出来る人はいないだろうから、世界は等しく自信なげにうろたえているように見える。資本主義というのは貨幣の力に任せる放任主義だから、人が貨幣をコントロール出来ないとすれば、資本主義は勝手に暴走して、やがて病気になり、死ぬのだろうと思う。その後はどうなるのか。「死ぬ」戸はどういう状態を言うのだろうか。その終焉を生きている間に見ることが出来るのだろうか? . . . 本文を読む
昔の仲間から楽譜が送られてきた。これで練習せよという意味である。35年以上もほとんどのメンバーと会ったことがないだけに、送られてきた楽譜を前に、まずは、かつての仲間たちの名前と顔を思い出すべく、努力をかたむけた。
たいがいのメンバーは男なら私より年上が多いだろうと思うし女ならば、もう大部分60の坂を越えているのではないかと思う。思い出というものは美しいもので、思い出す人の顔はすべて若く、輝いていた。女性はことごとく10代から20代の前半で、愛らしく、屈託のない笑顔で集まっていた。勝手に思うだけかも知れないが、今時のチャラチャラした厚化粧の若い女性とは似ても似つかぬほど優雅であった。
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懸念していたインフルエンザにまだ掛かっていない、これは多重防護(過剰保護)のせいかもしれないが、インフルエンザと花粉症のダブルパンチに掛かった人はお気の毒としか言いようがない。
中川財務大臣が、G8の会議終了後の記者会見で、大変な醜態を演じたが、最初私はインフルエンザにかかっていてお気の毒にと一瞬同情しようとしたが、「マテよ」と思った。というのはかつて同様な姿を議会で見せたことがあると気付いたからだ。そうかあのときもインフルエンザにかかっていたんだとまた体力のない人だなと同情しかけたものだ。しかし、その後のニュースによるとこれは紛れもなく飲酒による醜態だと言うことが明らかにされてきて、今度は、何という緊張感のない大臣だと、怖ろしくなった。 . . . 本文を読む
090223フォーレのレクイエム
最近、久しぶりにLPレコードを聴いたものの中に、フォーレのレクイエム(死者のためのミサ曲)がある。もう何年前になるのか、おそらく35年ぐらい前に大阪のレコードショップで買ったものである。ステレオ録音の東芝エンジェルレコードで演奏はパリ音楽院管弦楽団、指揮はアンドレ・クリュイタンス、バリトンソロがフィッシャーデイスカウだ。 . . . 本文を読む
埃をかぶっていたステレオ装置が修繕の結果ようやく無用の長物から毎日欠かせぬBGM演奏期になってほぼ1ヶ月になった。夢中で聞きまくっていたのはよいが、他の部分も老朽化などで要修理、要買い換えなどが次々に現れて閉口している。とはいえ・・・・ . . . 本文を読む
090209本を書く
本を書けと色々な人からけしかけられる。私の特異な思想を表してみろと言うことらしい。
まんざらではないが、本は読まれなければ意味がない。特に出版社がついてくるものは。テレビの視聴率競争ではないが、一過性の瞬間視聴率を得るために知恵を絞るなんて言うことはつまらないことだ。書くからには、人々の記憶に残ること、自分も満足出来ること、ひとから、 特に家族や友人から「良くやった」と賞賛されることが条件となる。
されば、何を著すべきなのか、常ひごろ考えていることだけれど・・ . . . 本文を読む
090201「足ることを知る」生活のもたらす満足感
身の回りに存在する道具やら雑貨やら機械やら、食品、医薬品。これらはすべてテレビなどで大々的に宣伝され、気がつかない内に買い込んでいるものが多い。これらの製品を子細に観察してみると、必ずしも必需品ではないことを知る。とことん分析していくとほとんど不要であるといっても差し支えない。(写真は自宅の庭から出土した縄文時代の石斧) . . . 本文を読む