懸念していたインフルエンザにまだ掛かっていない、これは多重防護(過剰保護)のせいかもしれないが、インフルエンザと花粉症のダブルパンチに掛かった人はお気の毒としか言いようがない。
中川財務大臣が、G8の会議終了後の記者会見で、大変な醜態を演じたが、最初私はインフルエンザにかかっていてお気の毒にと一瞬同情しようとしたが、「マテよ」と思った。というのはかつて同様な姿を議会で見せたことがあると気付いたからだ。そうかあのときもインフルエンザにかかっていたんだとまた体力のない人だなと同情しかけたものだ。しかし、その後のニュースによるとこれは紛れもなく飲酒による醜態だと言うことが明らかにされてきて、今度は、何という緊張感のない大臣だと、怖ろしくなった。 . . . 本文を読む
090109
人間は本来弱いものだ。好きなものを食べかつ飲み、好きなことだけをやる、働かない、勉強しない、嫌いな人とは付き合わない・・・現実逃避の生活をすると幸せなのかなあと思うこともままある。嫌なこと、苦しいことが続くと、現実と向き合わないで生きることが一番幸せかも知れないと思う虚無の瞬間だ。アルツハイマーになり、意識不明ではあるが、過去の映像の中に浸れる暮らしのことである。人間の苦痛は病気、貧困、孤独、別れの4つだと思う。これらは重なり合うことが多く、二重苦、三重苦となることが多い。昨今の世情は病気、貧困、孤独の度合いが増しているように思う。
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禁煙ではなく断煙というべきだと思う。たばこは、断固断つということが禁煙の成功の秘訣である。たばこを断つということは実際は大変苦しい。禁煙してから2-3日目になると、頭がくらくらしてくる。それでも尚「俺は断煙を決めている」と言い聞かせるのだがそれが容易ではない。ポケットの中にあるたばこの箱を左手でまさぐりながら、自分で暗示をかける。「たばこは近づけつつ止めよ」という暗示である。 . . . 本文を読む
現在の節酒は、体重のコントロールという使命感によって実行されている。私の理想体重は60㎏(身長170センチに対応して)であるが、ここ数年70㎏を軽く突破、おそらく72~75㎏の間をうろうろしていた。いうまでもなく、運動不足に過食、過飲が習慣となり、体重は右肩上がり増える一方で、成人病にまっしぐらに向かっていた。医者にいつも朝食抜きで血糖値を計られている。どうやら危険水域も近いという女医の認識かららしい。「体重を落とさねばいけません」といつも彼女には同じことを言わせていたのである。体重を落とすということは、1日2日運動しても仕方がない。それは生活習慣を根本から変えることであることにいやでも気づかされていたのであるが実行をしていなかっただけである。 . . . 本文を読む
20代の半ばから50近くまで、私は喫煙と禁煙を繰り返しながらたばこと一緒に暮らしてきた。当時の社会では、男子は喫煙する方が普通で、通勤途上の歩きたばこの風景は少しも珍しいことではなかった。さすがに電車の中は喫煙者はいなかったが、映画館の中とか、セミナーの受講中とか、誰も遠慮なく喫煙していた。昨今は路上喫煙は罰金が課せられる自治体も多くなったが、たばこが健康に悪い、副流煙が他人に健康被害を与えるということが常識になってさすがにたばこ飲みはマナーに気をつけ、他人に文句を言われないような吸い方をしている。 . . . 本文を読む
禁煙は4日目が難しい。これは私の実感である。自分はここまでがんばった。すこし一服しよう。そしてここまでの努力を反省しながら改めてこれからの禁煙の方策を練ろう。ここまでがんばったこの自分を褒めようという心理になるのである。その甘えが問題である。頑ばったじゃないか、頑張れるじゃないか、禁煙なんて簡単じゃないかという気持である。ならば一本ぐらいいいだろう、という心が起こる。もちろん、ここまで頑張ったのだからがんばり続けるべきだという心もあり葛藤がある。しかし、どうしてもここで休息をしよう、改めて禁煙の成果を味わおう、一服するのは必要だという心理になるほうが圧倒的に勝つのである。 . . . 本文を読む
禁酒という言葉のイメージは、苦痛を我慢するということが含まれる。従って、私は、禁酒という言葉は好まない。苦痛を我慢することはいやだから。しかし気づいてみるとお酒(を飲むの)は快楽かと言えばけっしてそうではないと言えるし、お酒はパンやご飯のように必須のものかと言えばやはりそうでもないといえるので、自分の中では、快楽でも必須でもないものは、自分につきまとう必要はなかろうということに気づくのである。ただ、たばこと違いお酒は時には必須の存在の時がある。交友とかセレモニーに欠かせないからである。酒が飲めるのに、自分本位の理屈を優先して杯を断るのは偏屈を通り越して嫌味であるし、人間同士の自由闊達な交際を自分から拒否するに過ぎないからである。 . . . 本文を読む
禁酒や禁煙を重い十字架を背負ってでもやりとげるんだなどど気負うと必ず失敗する。ここでは禁煙のことだけを触れるが、禁煙は「楽しんでやるゲームと思うべし」ということだと思う。勝負だから勝ち負けがある。このゲームは、禁煙しようとする自分と、今度は負けてもいいかと思うもう一つの自分との勝負である。勝負に悲壮感を持ち込まず、負けたら負けたで敗因を分析し、いつか再び挑みたくなったらまた挑めばよい。これは禁煙に5回ぐらい失敗して、現在「休煙20年+アルファ」の私の考え方である。たばこを敵としない、むしろたばこを友としてもて遊びつつ休煙を続ける。これが20年も続けばまあ、禁煙に成功したと胸を張れるかも知れないが、たばこを克服したなどとえらそうな考えを持たないことである。私のたばこをポケットに常に忍ばせていた。吸いたければいつでも吸おうという気持に心をゆるめておくと結果的にたばこを吸いたい気持を抑制することができた。とにかく悲壮な決心をしないことが成功の秘訣じゃないかと思う。たばこが止められない理由は私なりに考えると下記のような理由があると思われる。
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おそらく、私はお酒もたばこも好きだ。もしもそれらが健康を阻害しない、いや、健康によいとなれば、禁酒・禁煙などあ り得なかったであろう。若い頃「お酒なんて世の中になくともかまわないよ」と豪語していたのを思い出す。大量飲酒は人を変えることもよく知っているし、飲み助の介抱で苦労させられたこともしばしばであったから。生活習慣というのは恐ろしいものだ。お酒やたばこはすぐ生活習慣になってしまうものらしい。それに反して、散歩とかラジオ体操とかは生活習慣になりにくい。要するに欲望のままに生活すると生活習慣は悪い方に重なりながら、不健康を蓄積するらしい。欲望をたつことが健康によいということが真実であるらしい。これは精神的に苦痛であるのだが、それを乗り越えて、禁酒、禁煙に到達すべきなのだ・・・と賢者はしかつめらしく説く。私は、お酒が体重の増加に貢献しているのではないかと前から思っていた。ウエスト増加はいつも医師にうるさく警告されるので、「それなら、少し酒をへらしてみよう、飲まない日を作ろう」と密かに思い実行に移すことにした。食べ物を減らして、カロリー管理するのは面倒だ、毎日飲んでいるお酒を止めればそれだけカロリーが減るはずだと単純に思い実行することにした。 . . . 本文を読む
明治生まれの親父がよく言っていた。酒というものは人と人との融和に欠かすことのできないものだ。そしてさらに「酒を飲めない人は気の毒だ」と。酒を知らないで何の人生かと言わんばかりに。子供のころ聞いた時にはそのことは何のことかわからなかったが長じて会社勤めをしてみると酒というものがいかにすばらしいものであるかが、最初は「理屈」としてそしてしだいに「理屈抜きに」分かるようになった。 . . . 本文を読む