朝の散歩で友達になった下丸子、矢口にお住まいの面々とカトリック田園調布教会のPentecostes 祭り(キリストの復活への音楽の祈りのこと)に参りました。私の家族4人と朝の散歩メンバー4人の主婦とで8人も集団ができました。 その魅力は大聖堂の偉容と荘厳かつ華麗なるアンサンブルの音にありました。 . . . 本文を読む
ある日、岐阜県の片田舎からやってきた近所の老人(男性)と散歩の足を止めて話し込んでしまった。巨人ファンの彼、勝った翌日はやけに饒舌になるから話が弾む。私は阪神ファンだから彼のコトバにシニカルな笑いで応酬する。
彼の話題はどこにでも飛ぶ。話題が豊富で経験に裏打ちされている。どんなことでも話を合わせてくる。昔は大変苦労した人らしいと思われるが、いま自由人、もっとも生き生きとしている。今日は故郷談義。農業の話題になると彼の声が沈む。故郷の人々はみんな散っていまい、お墓もなくなり、今は荒れ果てた山になったと嘆く。
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今日は、慣れない町を歩いて、膝の裏の筋が痛み出し、這々の体で散歩を切り上げて電車で帰宅した。これは数週間は遠出はできない負傷なのかなと、いま治療法を探っている。今日はまさしく徒歩が徒労に帰した。 . . . 本文を読む
歩くことは徒労ではない、この場合の「徒」の意味は、乗り物に乗らないという意味らしい。徒労とは、ムダな努力という意味だから「徒」はいたずらに、意味の無いとなる。多摩川にへばりつきながらの毎朝の徒歩は徒労ではないし、身体に良い、人と話せる、五感が刺激されるので体調が悪くなければ続けたい。
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歩いているときふと思った。歩くことを徒歩という。この「徒」とはどういう意味なのか?歩行ではいけないのか思ったら気になり始めた。この「徒」が使われているコトバは結構ある。徒輩、徒党 、博徒 、暴徒、生徒、徒弟、徒手、徒食、徒労など。いろいろ意味がありそうな「徒」はその原義は何か、どういうニュアンスで使われるのか?これらに共通するニュアンスが「むなしい」「ムダ」という意味合いに通じているようだ。
徒歩はムダなのか?むなしいのか? 徒労や徒食はムダで、むなしいに違いない。人というコトバに被さる徒輩、徒党 、博徒 、暴徒、生徒、徒弟は、個性を殺した群れなのか?、 . . . 本文を読む