身を切るといいながら聖域扱いをしているのが政党助成金だ。今日ふとしたところでその情報をもらった。
総務省は、中央政界の諸政党に対して年間320億円も政党助成金を出しているという。なんだこりゃ。スカイツリーが630億円というから、政党助成金を受け取っている政党は2年に一回スカイツリーを作れるほどの巨額のお金を受け取っている。これは何に使われるのか?政党とは政治結社であり、純粋の民間団体なのに、何故税金で養われるのだろうか?わけが分からないとはこのことだ。
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ひどい、ひどい。もはや理性がどこかに行ってしまった。原発再稼働とはよくも言えたものだ。
誰も安全運転できないことが分かった今般の事故。つまり、火の扱い方が分からないのに、火をつけま来る責任観念の欠如。この決定がどんな結果を招くのか。いっさい考えないで、再稼働ありきの結論だけで突っ走る怖さ。
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マスコミの退廃が語られて久しい。ジャーナリストが、自分の意志と力で取材先を見つけ、見つけ、情報を収集、分析、評価する能力を失っていること、意志という側面で言えば、自分を発達、進化させようという努力をしようとしない。流されている情報は二番煎じ、三番煎じの、鋳型に収まった、疲労した[ニュース]ばかり。マスコミの情報は創造性もなく、迫力が無いのはそのせいであろう。大事なことはタブーとし、聖域にしながら、虚構の対立を作り出し、生活の現場から遠く離れているところで、ポピュリズムを称揚し、そこに商機を見出す。これを必死で行うことで視聴率アップや読者拡大に身を削る。 . . . 本文を読む
大阪は時々とんでもない男をリーダーに選ぶ。かつてはなんとかノック?とかというのも長いこと知事の椅子に座っていた。今度の男も、恐ろしく古めかしい思想を臆面も無く表に出して、開き直るタイプらしい。元々民主主義に懐疑的な心の奥底も透けて見える。君が代を歌うときに直立不動で歌わないと弾圧を加えると臆面も無く言い放つのが、どろどろとした民主主義とその惨憺たる最近の国難にあえぐ人々の気持ちにある程度沿うことがある。 . . . 本文を読む
―――ああ、偏差値教育!!
目立たぬように、お釈迦にならないように
「この仕事好き?」「別に…」「これについて意見は?」「別にありません」「頼んだ
ことやってくれたよね」「はい」「キミの5年先のすがたは?」「……」
偏差値教育のなせる技なのか、若い人たちと話の受け答えには気合いが入らない。
会話は成立しているのですが、「気」が抜けているというか、「気」が殺がれるとい
うか、1つの仕事にPLAN→DO→CHECKの「→」がなく、P、P、P…かD、D、
D…か、C、C、C…というように切れてしまっている。これはいわゆるマルバツ式
の反応規範で、P…C…Dの関係図式を論理的に掌握していないことから起こり
ます。
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老いも若きも、男も女も、農村も都市も、何かにいらだち、おびえ、腹を立てるご時世です。 昔はどうだった?とは問いませんが、もう少し世の中に笑いがあったように思いますが。笑いだったら、お笑いタレントがごまんと居るブラウン管の中を見よと誰かがおしゃっていましたが、あれは「商売」で演じたものだから、乗りにくいですね。それにだいぶん下品です。 昔と比べて最も違うのは世の中が豊かで便利になったことです。それを実感するのは、腹が減ったとき。家を出てちょいと歩くだけで、食べたいもの何でも、いくらでも手にはいる。不足とか欠品とかいう言葉が死語になったかのように。
「食べる」ということについてこんなにすごい、うらやましい時代を作り上げたのに、皆さんはそれに大いに満足しているかと言えば、いらだち、おびえ、そして腹を立てているように思えます。
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6世紀末から16世紀半ばまで、1000年の間、日本の国の文化は、成熟の一途をたどり、その思想の基本的な性格は揺るぎのないものになって行った。ところが16世紀半ば、西洋の一神教文明、その先兵としてのイエズス会と出会い、これを契機として日本国の性格が大いに揺すぶられていった。500年前の西洋との接触は、グローバリゼーションの開始だと思う。そして、現代も、東西南北の文明が交雑し、摩擦熱が世界を覆っているようだ。東日本大震災は1000年ぶりだという。これは、1000年という、国家100年の計よりも遙かに高い次元日本を眺めるという思考を多くの人に植え付けたかも知れない。
21世紀の日本において、西洋との接触で変化したモズからを、どう清算し、新しい形に脱皮するのか、早めに答えを出していかねばならないのではないかと思われる。
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