私の加わっている混声合唱団(勿論素人の集まり)は、4月に創立10周年を迎え、震災のチャリティコンサートを行うことになり、目下、週一の猛練習中である。ド素人だった私が団に加わったのは[気楽に歌って]という入団勧誘に、ついその気になったからである。そして6年が過ぎた。その間、一年半ばかり抜けた時期があったが、まあ大体、月二回の練習に参加している。不思議なもので、普段はおさそいの文句の通り[気楽に]歌ってきたが、演奏会で19曲も、ほとんど暗譜で歌わなければならないとあって、[気楽]な気持ちは吹き飛んで、演奏日二週間前の今は「緊張」に支配されている。人に聞かせるということの意味を考えたとき、[気楽]でなんかあり得ないわけで、聞く人の心や気持にそって音楽をいかに届けるかという格闘そのものであることを知る。 . . . 本文を読む
マ ス コ ミ の 退 廃
マスコミは退廃したといわれている。
この退廃はあらゆる側面に及び、今日では天気予報とテレビ番組の紹介とスポーツの結
果しか信用しないという人がいる。一口で言うと新聞、テレビ、ラジオは視聴率の争いが
昂じて、大衆の低級な好奇心に迎合し、底の浅い先入観を量産する。それを表面的で刺激
的な流行語に仕立て上げこれを積極的に煽り立てイメージ化し、物事をクイズ的な関心事
項に作り替えてしまう。これはすでに路線と言っていいほどのものである。
情報の発信者としてのマスメディアは政治、経済、文化、学芸、生活、スポーツ、教育
など全ての分野においてこの「クイズ路線」が貫かれている。この路線で共通しているこ
とは、物事の背景やその経過について何も本質的なことを伝えず、掘り下げもしない、表
面ばかりを視覚化、または記号化することによって面白おかしく脚色し刺激的なタイトル
に仕立てる。そのタイトルに沿うように記事を書く。
「やらせ」というのはマスメディアの本性といっても過言ではなく、その背景は商業主
義であることも説明に多言を要しまい。 . . . 本文を読む
長い、こころ苦しい1年が過ぎた。多くの日本人は、経験したことのない、心のつかえ、気持ちの萎えにさいなまされたのではないかと思う。少なくとも何事もなかったかのように明るく笑い、奔放に行動したという人もあるまい。
この1年は私これまでと違ってワイドな視野をもらったように思う。あまりにも生々しい未曾有のことばかりの、また日々発生し続けている事柄に追われて、情報の整理や区切りがつけられない状況であるにしても。確実なのは人々がこれまで抱いていた価値観が変わったことだと思える。人の価値観というのは、苦しい体験が原料になっているとすれば、今般の大震災は、この価値観を揺さぶる大経験を、国民が等しくしたことにあるだろう。
人はそれぞれ生きるために、自分の考え、価値観を常に探し求める存在なのかもしれない。
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プロのN九段が面白いことを言っています。彼の好きな格言は「自然な手に悪手無し」だそうです。自然な手というのは、素直な手、合理的な手、もしかして単純な手ということなのでしょうが、彼によると、将棋をもっと強くなろうとして、「奇手・妙手」時には「はめ手」を学んだりするのがいて、そうすると却って弱くなるということです。 . . . 本文を読む
春の兆しはアンズから。今はひたすらアンズを眺める日が続く。ジャーナリズムの痴呆化でTVも新聞も広告代理店に。だから、情報は自分で探したい。新聞紙はもはや広告集であり、ゴミ出しで捨てるのに苦労する。テレビはせっかく地デジにしたのに恐ろしいぐらい番組がくだらない。 . . . 本文を読む