田園調布の山荘

「和を以て貴しとなす」・・ 日本人の気質はこの言葉[平和愛好]に象徴されていると思われる。この観点から現代を透視したい。

昭和の寺子屋: 貧乏学生の思いつき

2019年03月13日 10時22分48秒 | 昭和の寺子屋、田園調布本町

私には平和日本が日米安全保障条約の改定で壊れる不安感がありました。つまり、日本はアメリカに従属したまま再軍備が進み、軍国主義が幅を利かすという不安感でした。安倍晋三氏の祖父の岸信介氏が首相になってから、強権政治が始まり国会に警官を導入して条約が批准されました。これに怒った多くの国民が抗議運動を展開しました。60年後の今日でも、この運動の経験が引き継がれ、民主主義、独立、平和の価値を守り、その定着発展を期する運動が国の隅々で続いているのはご存じのとおりです。  

姫百合幼稚園の夏休み理科教室

さて、私が田園調布+(沼部)にきたのが昭和34年、高齢に差し掛かった父母を少しでも支えるため、何よりも自分の学費を稼ぐために、この地で何かをしたいと思い、近所の子どもに理科と算数を教えられないかと思い立ちました。知人もいないこの地域ですが夏休みを活用して理科の実験教室ができないかと思いました。子どもたちには理科と算数が苦手なものが多いと聞いていました。私は受験勉強は嫌いでしたが理科と算数は好きでした。この二つが好きになれば「受験は楽ちん」ですので、当時東調布第一小学校の近くの姫百合幼稚園を訪問し「56年生の夏休理科教室をやりたいので部屋を借りたい」とお願いしました。幸い園長先生は趣旨に賛同され卒園者の父母に働きかけていただき、5名の生徒を集めていただきました。園長先生は事前に父母にお集まりいただき私の計画を紹介し推奨してくださいました。これが「昭和の寺子屋in沼部」の事始めでした。大学生が後輩の学科を手助けするこの“寺子屋”は、その秋に私の家に教室を移して1966年まで続きました。その間、毎年20人の生徒が出入りし、理科系学生も最盛時5人が参加して“寺子屋”の学童サポート親子サロンになりました。(続)


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