田園調布の山荘

「和を以て貴しとなす」・・ 日本人の気質はこの言葉[平和愛好]に象徴されていると思われる。この観点から現代を透視したい。

151219 15年前の日記から「学者の仕事、コンサルの仕事」

2015年12月21日 08時23分20秒 | 時評

 

  私が自分の「調査」にこだわるのは、これまでに目にし、報告された調査なるものが、言葉で抽象化され、特に技術のことは批判を含めてとても詳しいが、経営に関しては表面を見ているだけであることによる。報告書の中には農業を最初から人生の修練や哲学の対象としてとらえ、雲の上から、苦学力行、創意工夫の美学を成功者の成功要因と短絡して、説教をするにとどまっている横着でひどいのも散見する。天から見るのではなく、地上に降りて具体的な、個人でも集団でも、農業経営を科学的にねばり強く分析することが必要だから学者、コンサルタントにはこのための十分な費用と時間、課程を与えなければならない。  技術を論ずるのは機械でいえば部品を論ずることであり、部品の部品を次から次に論じていけば、それは無限の時間を楽しめる。経営を論ずることには裏面の事実を推断する力がいる。私が見た専門家の報告書には技術を楽しんで、「こうやった方がいいよ」といって自分のやり方を推奨するものが多く、分かっていてもそれが出来ない理由を経営面から情報を集めることを怠り、根本的なところへのつっこみを回避している。こうして出来た報告書など一顧の価値もないのである。自戒を含めてそう思うこのごろである。

  これまで世の中の権威は、工程を合理化すればよいという一点だけで技術を見、その結論としての規模拡大の意義を説き、結果的に市場(販売と金融の両方)と経営のバランスをとる力量をつけることを逃げて、簡単に金を借りろと言ったり、高性能の機械を導入しろといったり、土地や雇用を増やせといったりする「近代化」計画に踊らされた。

世に言う機械化貧乏、豊作貧乏は、機械化がダメだったのではなく、豊作だからダメだったのではない。いわば技術に責任があるのではなく、それを操るべき人間の条件の方に問われなければならない数多くの問題がある。「経営を見る」というのは、聞き難いことを聞き、隠されている事実に迫り、どこに障害があるかを推断するつらい作業だ。誰でも言いたくないことはある、聞かれたくないことがある。しかしそこにこそ真の障害が隠されていることが多い。例えば借金。自営業の場合は子供の進学や家族の病気など経営外の重要要因が作用している場合が多い。これは農業経営を株式会社化しても変わらない。経営の問題の中で分析が殆ど見られないのは販売・流通問題だ。どこへ売り、どれだけ回収したか、この大切な事実関係が、記録はされていても記帳にとどまり、「どういう改善をすればよいか」という問題意識を生産してくれない。資金の効率を見ることが、最も大切なことだから、市場と経営がどうバランスしているかを分析し、経営能力や意識などの改善策を考えるのが、経営コンサルタントの中心課題となる。経営コンサルタントの目線は、農家を一個の人格としてみて、現実の生活を地域社会の中で営む生活者として何に喜び、何を悲しんでいるか、何に障害を持ち、何に引っかかる気持をもっているかを気にしておくことだ。これは具体的な人に接し、その人格に触れなければよく分からない。したがって、経営コンサルタントは一般に現場から生まれ、現場に「巣くって」いることが必要ではないかと思う。実は、問題なことに実際にはこのような仕事をする人には国は予算をつけないし、大学などの研究機関もこのような仕事をする人は出世出来ない仕組みができあがっているように思える。


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