もう秋なんだろうか、それともまだ夏なんだろうか。室内は涼しいが戸外は暑い。
誰かが掃いたような雲と、澄みきった青い空。大地を水浸しにした大量の天の水は、ついでに空をもきれいに洗い清めたみたいだ。
超巨大な台風やゲリラ豪雨といわれるものが、日本列島のあちこちを襲った夏だった。
急峻な山を崩し、川を氾濫させ、家や人を押し流した。亡くなった人や行方がわからない人は数知れない。さらに、道路が崩れて孤立してしまったところも多くある。
水害のニュースをテレビで観るたびに、そんな山奥の村のことを想う。ぼくの中の記憶の風景が無残に塗りつぶされていくような気がした。
記憶の道をたどる。どこまでも山があり川がある。
山々がいくつも連なる、紀伊山地も雨の多いところだ。
その中心には十津川村という日本一大きな村がある。土地のほとんどは山ばかりだ。かつては米も作れず、米粒は貴重な薬のようなものだったという。米は薬、「米養生」という言葉も残っている。そんな山深い所に集落が散在する。かつては大きな水害のあったところで、村民がこぞって北海道に大移住したという歴史もある。
かつて十津川村を中心とした、そのあたりの林道や山道を、車で走り回ったことがある。
走っても走っても山ばかり。ときたま突然に1軒か2軒の民家が現れる。
都会の雑踏を逃げだしてきた、逃亡者みたいなぼくだったが、すっかり逃げきれたと思えるような山奥にも、家があり人はいて生活しているのだった。
そんな山の中の暮らしは、どんな生活なんだろうと興味もわき、そこに生活の拠点を置いてみたいと考えることもあった。
ぼくが走っていたのか、時が走っていたのか、走り過ぎていくさまざまな風景があった。走り過ぎていくさまざまな思いがあった。ただ走り過ぎていった一瞬の、風景であり思いであったから、それらは心にひびいて美しい残像となったのだろう。
杉林の薄暗い林道を抜けると、道が途切れるほどの断崖と眩い空があった。静まりかえった秋の道は、どこまでも山の上へと続いていた。
高い山の尾根は、かつては修験者たちの修業の道が走り、谷あいの暗い道は、維新の志士たちの戦いと逃亡の道でもあった。秘境ゆえの歴史の足跡が、道なき道にしっかりと残されていた。
涼しくなったら、久しぶりに十津川の秋の山を越えてみたいという思いもあった。
だが今は、道路がどこで途切れてしまっているかわからない。山も道も家も人も、命のゆくえさえも曖昧になっている。
日本列島、山からは山の水が襲いかかってくる。海からは海の水が押し寄せてくる。水は命の水であるが、命をうばう水でもあったのだ。
嵐はいくども来て、いくども去っていく。あとには静かな美しい空だけが残される。嵐のあとの空は、青く澄んだ底なしの水の深みにもみえる。