風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

そのとき人は風景になる(4)

2021年06月05日 | 「新エッセイ集2021」

 

 海をわたって風のくにへ

西へと
みじかい眠りを繋ぎながら
うず潮の海をわたる
古い記憶をなぞるように
島々はとつとつと
煙りの山はゆったりと
風の声を伝えてくる

雲は思いのままに
夏の空は膨らみつづける
いつかの風に誘われて
ぼくは眠り草に手を触れてみる
憶えているのは
土の匂いと水の匂い
そして古い遊び

風のくにでは
生者よりも死者のほうが多い
山の尾根でふかく
花崗岩とともに眠っている
竹やぶの暗い洞窟では
白い百合になった切支丹が
風の祈りを刻みつづける

迎え火を焚いたら
家の中が賑やかになった
古い人々は古い言葉をつかった
声が遠いと母がぼやく
耳の中に豆粒が入っていると
いくども同じことばかり言うので
子供らも耳の中に豆粒を入れた

送り火を焚いて夏をおくる
耳の豆粒を取り出すと
母の読経が聞こえた
ひぐらしの声で一日が明けて
ひぐらしの声で一日が暮れる
日がな風ばかり吸って
せみの腹は空っぽになった

きょうは目が痛いと母が言う
きのうは眩暈がし
おとといは便秘だった
薬が多すぎて配分がわからないと
母の目薬は探せないまま
ぼくはまた船に乗る
とうとう風の言葉は聞けなかった

 

 

(1)そこには風が吹いている

 

 

 

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