風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

16歳の日記より(3)冬眠

2021年02月21日 | 「新エッセイ集2021」

 

いまは冬だ、まったくの冬だ。
ここは、小山と小山を切り通してできたような集落だ。その狭い地域の、小さな空間のような空は広くはない。重たい冬の雲が次から次へと冬の陽を遮っていく。よく晴れたときの空は水底のように青く澄んで深い。その空をときどき雪が舞ったりする。まわりの高い山から吹き降ろされてくる細かい雪だ。
そんな空を眺めていると、この狭い空間に閉じ込められているように僕は感じてしまう。
戸外では、近所の子供たちが盛んに走り回って騒いでいる。彼らの楽しそうな遊戯も、いまは思い出のように懐かしくて遠い。僕はもう子供ではない。しかし大人でもない。何かを失ってしまった子供であり、まだ何も手にすることが出来ない大人なのかもしれない。
子供らは一列になって、霜柱を踏み砕きながら田んぼの畦道を歩いて行く。山際の細い疎水を注意深く跨ぎ、崖にぶら下がっている氷柱を背伸びして手折る。それを口に含むと土臭い苔や木の根の味がする。氷の冷たさで口の中がしびれてくると、溶解した氷のしずくは次第に甘味な味わいに変っていく。それだけで、子供らの舌は満足げにふるえる。
遠くに子供らの足音を聞きながら、僕はいま冬眠している。
土の中で眠り続ける生き物たちのように、ただ自分自身の熱で自分を温めながら、無為なる眠りを眠っている。無口な僕はますます言葉を失い、かつての草笛を吹くほどの感動すら唇に湧いてこない。父の甲高い叱声も、母のとがめるような眼差しも、僕の眠りを妨げることはできない。
僕は僕自身を閉じ込めているのかもしれない。深い土の眠りを眠っている。ときどき射しこんでくる弱い光の中に見えるものは、すぐに消えてしまうような断片的で儚い夢にすぎない。目覚めることも眠り続けることも出来ずに、夢のはざ間で僕は、声にならない言葉をつぶやいている。
いま僕は目覚めているのだろうか、眠っているのだろうか。

 

 

 

 

 


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