目をつむると、暗がりの底をいつも一本の川が流れている。
かつて、ぼくの生活の、いちばん身近かにあったのは川だった。
春と秋は、川の浅瀬を渡りながらキラキラ光る魚を追った。
夏は終日、湧水の冷たい流れにもまれながら、ゆるくなった四肢で魚を真似して泳いだ。
上流では山が晴れたり曇ったりするので、川は濁ったり澄んだりした。
冬は背中を陽に温めながら、岩陰で動かない黒い魚の背中をじっと見つめていた。
川の流れのように、無心のときは流れていた。
そして日々の記憶もまた、川の流れそのもののように尽きることはなかった。
それが、川のある風景だった。絵具でスケッチするのではなく、ページを繰るように言葉で綴った。
それは、大人になってずっと後のことではあったけれど。
そんな心の川も、いつのまにか遠くなってしまった。
近くには川はなく小さな森しかない。
太い木の幹に触れると、あるときは冷たく、またあるときは温かい。
耳をすますと、樹液の流れる音なのか、あるいは風の音なのか、とおい川の瀬音が聞こえることがある。
それは言葉にならない声だ。過去から蘇ってくる声か、未来を告げる声かもわからない。
その曖昧な声に、未知なる言葉を探しつづけながら、日記のページを開いたり閉じたりしている。